「今」



「今」は、動物にとっては、どう認識されているだろうか?
いや、動物の生活に、「今」なんて概念は全く出てこない、不要なものだろう。
「今」なんて言葉は、人間の他の人に、しばらく先の話でもなく以前の話でもなく、まさに今、ということを伝えるために生み出されたコミュニケーション上必要な概念だったから、人間にしか「今」という観念は存在しないだろう。。。




とにかく、「今」というのが、どんな概念なのか、絶対的な基準があるのか、追求していかなければいけない…


ところで、今の反対は何か?過去や未来ではなく、永遠だろう。
ゼロの反対が無限大であるように。


認知症の人は見当識障害を起こすことがある。
つまり、今がいつなのか?わからなくなるのだ。(他にも、ここがどこなのか?目の前にいる家族が誰なのか?もわからなくなったり・・・)


何故、今がいつなのか?わからなくなるのか?


これと似たような状態は、子どもが夢遊病で歩いているとき、今が夜中だということをわからずにいたりする。



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Here & Now ヒアアンドナウ 今ここで


よく「Here & Now」「今ここで」という言葉が使われる。
しかし、「今」と「ここ」は等価じゃない。

「今」は「ここ」よりもレベルの高い概念だ!

なぜか?


今と言った時、いつの時点かわからないことが多い、主語が今存在する人を対象にしているから。
しかし、ここと言った時、それは、今その人が住んでいる大阪府大阪市何とか何番地かもしれないけど、それはもっと正確にいうと、銀河系の太陽系の地球の日本のという風に詳述できる。さらにいえば、この世、この世界、という風に限定できる!

だけど、時については、悠久の歴史の中の無限ともいえる時間の中で、べつな時間軸を想定することは不可能に近いと思われる・・・


そうなると、逆に考えて、絶対者にとっては時間はすでにもう未来も過去もなく決定できるようなんじゃないかと考えられる・・・


今日も意味不明な内容ですみません


とにかく、「今とはいつなのか?」と考えることは、すごく重要だと思う今日この頃です・・・
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今はいつか?

晩年のアインシュタインも「今」について混乱していたような気がする・・・プリンストン研究所同僚の哲学者・物理学者・数学者のルドルフ・カルナップと時間について議論してたらしい。


「今はいつか?」

「今でしょ!」

と答える人がほとんどだろう。そりゃそうだ。しかし、その答えは普遍的なものではない。問いが普遍的な問いではないから仕方ないだろうが。

なら、今という概念を定義すると、どうなるだろう?
辞書を検索すると、「過去と未来との境になる時」「現在」「ただいま」とトートロジー(同語反復)になってしまう。まぁ、それはよしとしても、主語がない。誰にとっての現在なのか?


世界全体の真理から見れば、「今」というのはいつの時点なのだろうか?
神からすれば、「今」というのは2015年9月14日午前6時26分なのだろうか?

違うような気がする。

自分、存在、今というキーワードで考えると、本当に、今が何なのかを良く考えないと先に進まない・・・






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「ゲーデルの哲学」を読んで・・・

図書館で本を借りるとき、まず一番最後を読んでから、全部読むに値するかどうか判断し借りる。

本書も一番最後を読んでみた。

アメリカの哲学者パトリック・グリムがゲーデルの不完全性定理を用いて、神の非存在を証明した、ただし、正確にいうと、人間の理性によって理解可能な神は存在しないということであり、人類の認識・知性・理性の限界を超えたところに神が存在する可能性はあることを暗示している・・・と言った内容だった。

とりあえず、借りて読んでみたわけだが、

この本を読んでみて、連想したこと・・・


1たす1は2
ということは、一見、普遍的な真理に思えるが、僕はそうは思わない。形而上的な理想だからと言うこともできるが、それ以上に、混沌のカオスの別の世界では(そういうパラレルワールドでは)、この世の常識は通用しないからだ。この世では、常識というか当たり前のような整然とした事柄が、もしかしたら、脆く危うい崩れやすい事柄ばかりなのかもしれない。

そんなふうに考えている僕だから、1+1=2ということについて数百ページを割いてプリンシピア・マセマティカを書いたバートランド・ラッセルやホワイトヘッドたちのような数学者、論理学者たちの記号遊び言葉遊びには、限界を感じてしまう。彼らも、自分たちの使う数学の観念は、現実に完全に符合するわけではないと言ってる。論理学者たちは、人間の作ったルールの中で(もちろん現実の自然現象に近似させ役に立つように考えられたものだが)、あれこれ、こねくり回している。

ゲーデルは恵まれた家庭に育ち、人生の悩みとはほぼ無縁に生きてきた。だから、神を考える必要がなかったし、現実を重んじる。「神の存在論的証明」をゲーム感覚でやってみせたが、それを公表することはしなかった。実際に神を信じていると誤解されるを恐れて。
無神論のゲーデルは晩年、被毒妄想激しく栄養失調で亡くなっている。ゲーデルの友のアインシュタインは、明るく外交的で親切な人柄だったのか、晩年は安らかだったと思う。


ラッセルが推薦したヴィトゲンシュタインは、大富豪の息子だったが暗い悲壮的な人で、人生にいろいろ悩んでいた。トルストイの編纂した聖書(イエスの言動のみに絞った聖書)を戦争に従軍しているときにも携行し、神を求めていた。
初めの頃のヴィトゲンシュタインは若気の至りで傲慢だった。語り得ぬものには沈黙せねばならないと結論づけて、それでもって、哲学上の全ての問題は解決したと勝手なことを言っていた…
晩年は、



話が逸れてしまった。

この世だけで通じる真理は、2H2+O2=2H2Oとか、いろいろあるだろう。
しかし、この世に限定しないで普遍的永遠の真理は、、、そういうものではない。1+1=2ではもない。
普遍的な真理はただ一つ、「感じる自分が今存在する。」そう、コギトエルゴスムだ・・・あとは、時間の観念の問題・・・


(今日もまとまりのない支離滅裂な内容ですみません・・・自分自身のメモ代わりのブログなので)

参考
http://god-theorem.blogspot.jp/2013/04/blog-post.html

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読み終わった・・・

『ゲーデルの哲学~不完全性定理と神の存在論』を読み終わった。

この本の著者である高橋昌一郎氏の他の本も読んだことがあるが(たしか「知性の限界」か「理性の限界」だったかな)、やっぱり駄目な本であった。

何がダメかというと、マニアというか、オタクというか、仲間内でわいわいがやがや楽しむのが好きな人という感じがよーく感じられた。

だから、書いている内容は、好きな人が読めばまぁまぁ面白おかしいだろう。しかし、本当に、真理や論理や神などを追求しようと人生を賭けているような人からしたら、くだらないと思うことだろう・・・

でも、まぁ、いろいろ考えさせられた(それについてはまた今度)。
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Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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