人間は苦労するのが日課

『あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。』

マタイ6-34


イエスははっきり断言している。
「あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう」と。
そう、明日は思い煩うような苦労の多い日なのだ。明日が楽しくなるように、あれこれ予想したり願ったりするのは、間違っているのだろう・・・
人間は苦労するのが日課であり、ただし、ただ苦労するのではなく、苦労の中で神を求めようとする姿勢が人間の本分なのではないかと思った・・・

マタイの6章を上記の前から引用する

『だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。 』

自分のしたいこと、楽しみ、など夢想してないで、日々の苦悩の中において、何よりもまず神の国と神の義とを真摯に求めることが大切なのではないかと思う。
神の国とは自分の心の中にある天国のことで、神の義とは愛・誠実・努力などのことじゃないかと、思う・・・
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ゆるす、いとおしく想う

人をゆるす
世界をゆるす
過去をゆるす


人を愛おしく想う
世界を素晴らしいと想う
過去を肯定する



「これで、いいんだ・・・」 と。

そして、

「これからも、同じ気持ちでいよう」 と。


今までの人生は失敗の連続だった? いや、そんなことはない。
うまくいってないだろ? いや、これでいいんだ。
苦しいだろ? いや、自分のことはどうでもいい。自分以外のものをいとおしく想えれば、それだけでいい・・・

人は何のために生きる?何で「自分」という意識がある?
それは、他のものをいとおしく想うため。他のものをそうやって感じるために「自我」が必要なんだ・・・










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自分に与えられた役を演じる


解離性同一性障害というのがある。それは病気としての状態だが、病気というのではなく、良い適応としての形なら非常に有益かもしれない。

依存したり、逃避したりなどの退行は良くないだろうけど、別の人格になれたら、それはそれでいいことなのではないかと思う・・・

そもそも、人生は自分に与えられた役割を演じることだから(社会の中での自分の立場、会社員だったり、父親であったり、夫であったり・・・)。それぞれの役をその時の状況でうまく演じ分けないといけないから・・・もちろん、嘘はいけない!


演じること。
これは動物にはできないことであろう。

空想癖がついてしまうかもしれないが、理想の人間をまねして行動すること、それも、いつもの意識でやるのではなく、完全に別人格のごとく、演じるのだ。
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他人に親切にしてあげると・・・

他人に親切にしてあげること

誰かが言っていた「人に親切にしてあげたら、必ず、自分に返ってくる」と。
確かにその通りかもしれない。
ただし、親切にするということが、具体的にどういうことかが問題だ。
町の人混みのなかで他人とすれ違う時に自分が道の脇に寄って相手が通りやすくしてあげる、その程度のことを親切というのか?

いや、違うと思う。相手が、「ああ!ありがたい!」と思うようなこちらの積極的サプライズ的な行為のことを親切というのだと思う。

なぜか?

こちらが煩わしさを厭わずにわざわざやってあげたとき、しかも、そのわずらわしさを相手も理解してくれたときに、その時、相手に自分の気持ちが伝わると思われるから・・・

(意味不明ですみません・・・)
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人のために何かをしてあげるというのは、じつは、むなしい・・・

僕の人生は、ひとの為に喜ぶことをする、それが大きな目的な人生だったと思う・・・
だった、と過去形でいうのは、今は考え直しているからだ。

こうやってブログを書いたり、仕事をしたり、お金を稼いだり、家族のために何か良いことをしたり、そういうのは、すべてひとにためのような感じでやっていたのだ。しかし、自分が他人のためにいろいろやっても、その相手は感謝することはないことが多い。他人というのは、その人自身のことで精一杯なことが多い。感謝する余裕がないのかもしれないし、そもそも感謝よりも別に自分のためにやっていると思っているのかもしれない・・・(ん?意味がよく伝わらないかもしれない、
まあいい・・・)

ひとの為に何かをすること
それは見かえりを求めているわけではないけれど、相手が自分の好意を全然理解していないのなら、はっきりいって、何もしなくてもいいように思われる・・・

キリスト教では隣人愛というけれど、隣人がありがたいと思ってくれるなら、隣人愛を実践してもいいと思うが、相手が何も思わないなら、そういう人助けはしないほうがその人の為にもなるように思われる・・・

そもそも、人は誰かから助けてもらったりしても、感謝はいっとき。すぐに忘れてしまうであろう。。。当たり前に感じてしまうだろう。


人生は人間関係がすべてだと思うが、ひとの為に何かをするのは実はとても空しいことだと思う・・・

相手がありがたいと思わないことの方が圧倒的に多い・・・



と、ここまで考えると、僕が日々やっていることは、すべて見直さなければならなくなってくる・・・

幻の夢、理想は、実は、まったく無駄なのだ・・・

もちろん自分自身のために何かをしようとしても空しい。。
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うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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