『完全な』無の世界

進化論を否定するのによく使われる話で、地球上に生命が自然に発生する確率は、車の部品をゴチャゴチャかき混ぜて一台の車が出来上がる確率より低いと言う・・・

キリスト教の言う創造論が正しいのか、科学の教える進化論が正しいのか、どちらかはわかりませんが、生命というか、自然というのは、エントロピー増大の法則に抗うかのように向かっているように思います(エントロピーの使い方が間違っていると思いますが悪しからず)。。。


何を言いたいかというと、、、

混沌とした物質やエネルギーの集まりから何かが取捨選択されて放出される、生み出される、それも法則にのっとって。そういうことを繰り返しながら何かに向かって動いている。それは、まるで、インターネットの中の玉石混交の情報の渦の中から有用な情報だけを取り出し、そして意義のある活動に役立てていく。そんなビッグデータをビジネスに結び付けようとする最近の流れも、まさに、この宇宙、自然、生命の方向性と似ている。

そして一度できた構造は大枠を固持したまま増殖していく。世界はビッグバンによって星雲や星々が生まれたのであろうが、それは今でも星雲から星が生み出される活動を延々と続けているし(ビッグクランチでやがてこの世界は消滅するかもしれないが)、生命がいったん誕生してからは生命はその遺伝子に従って自分のコピー、子孫を残し増やしていくように続けていっている。初めの生命の誕生が確率的にいかにあり得ないくらい稀なことであろうと、一旦できてしまえば、あとはもう爆発的に増え、そして進化してていくのだ。



そして、ここからが重要なのだが(こっから読んでもらった方が時間の節約になると思う)

蜂が花粉をせっせと集めて蜂の巣を作るように、人間もせっせと資源や情報を集めて働く、音楽などの芸術という感動を作り出す、無意味だった世界に意味を見出そうとする、混沌の中から何かを形作ろうとする意志、これらはこの宇宙の、世界の、目指す方向性なのだろうか?

無から突然有が生まれたように、有はいつか突然無に帰るかもしれない。そしてまた無から有が突然生じるかもしれないし、有はまた消滅するかもしれない。これの繰り返しかもしれない。無意味な反復、繰り返し。

逆の見方をすれば、世界は『完全な』無に帰ろうとしているのかもしれない。一生懸命拭いても拭いてもまた現れる結露のようにきりがないけど、、、

秩序という点では、全くの無が一番の秩序だろう。そこには何もないから、秩序を犯すものも存在しない。この世界は、もともとは完全な無じゃなく、混沌とした無だったのかもしれない。だから、その世界で何かが出現してもそれはもともと無秩序の世界だったその世界ではあり得る現象であるのだ。

しかし、完全な無の世界では、いかなる現象も起きないという秩序があるかもしれない。

論理が破綻しかけているので、この辺でやめときます・・・
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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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