キリスト教



スーパーに買い出しの日。たくさん買って、重いものはリュックに入れて背負い、軽いものはビール袋で左手に持つ。自転車置き場で自分の自転車に乗ろうと鍵を出していたら、少し離れたところにいるおばちゃんが自分の自転車のカゴに荷物を必死に入れようとしていて、その動作で、そのおばちゃんの自転車の後輪が隣の自転車に触れて、その隣の自転車が揺れ、そのまた隣の自転車に触れ、そのまた隣の自転車が揺れ、揺れ方が増幅され、そのまたそのまた隣の自転車に触れ、ついにそのまたそのまた隣の自転車が倒れた。そして、ドミノ倒しのように、次々自転車が倒れ始めた。僕の自転車を含め、10台くらいの自転車が倒れた。おばちゃんの自転車やその隣とそのまた隣の自転車は別に倒れておらず、おばちゃんもカゴに荷物を入れるのに必死で気が付いていない。いや、気がついんだろうが、僕が勝手に自転車を倒したんだろうと思ったようだ。。。(こう書いていると、僕のつたない文章力じゃ読者の方々に理解できないと思われますが、雰囲気伝わりましたでしょうか?)

僕は唖然とした・・・僕自身は何もしていないのに、僕は無実なのに、何か悪いことをしたみたいに、周りから思われているような気がした・・・周りにはたくさん通行人がいたから。

まぁ、でも、僕は、倒れた自転車を起こし始めた。

すると、通行人の方々も自転車を起こし始めてくれた。「手伝いますよ」とか「この荷物カゴから落ちたみたいですよ」とか、3人ほどが声をかけてくれながら手伝ってくれた。

僕は嬉しかった・・・
う~~ん、僕を助けてくれたことじゃなくて、人間ってやっぱり良い人も少なくないというこの世の現実に安心したからだ。

真の犯人(おばちゃん)は、自分のせいだということを知らないとはいえ、自分のことで精で一杯でとても他の人の手助けをしている余裕はなかっただろう。
それに、他の通行人たちも忙しくて手伝う暇はなかったころだろう。
僕自身も以前、女子高生が他人の自転車を倒した時にそれを手伝うかどうかいろいろ悩んで結局手伝わなかったことがある。

皆、それぞれの事情で良い事をできずにいる。だけど、それで、誰もが何もできない現実にはならず、今回、僕は人の良い所を目の当たりにすることができた。

まぁ、小心者の僕が手伝ってくれた人達に「ありがとうございました」なんて感謝の言葉を言えるわけもなく、何事もなかったかのように、皆、それぞれ去っていった・・・

こんなとき、イエスは何て言うだろう。

『愚か者よ、こんなことくらいで、喜ぶな!
人の真価はもっと過酷な状況で問われるべきだ。
真実の信仰を持っていない多くの人間は、不遇な状況でこそサタンの誘惑に負け、罪を犯す!』

こんなことを言いそうである。僕はイエスに言いたい、神に抗議したい。

何故、日本人の親切を馬鹿にするんだ!
みんな、自分の得にもならないことを、他人のためにやっているじゃないか?
仏教だろうと無神論だろうと、人に良心があればそれでいいじゃないか!
キリスト教だけが真実だと言うなら、僕は地獄に行ってもかまわない。
そもそも、神様、あんたが悪い状況を作らなければそれで済むんだ。人を試すようなことはするな!
というよりも、神様、あんたが、人に罪を犯させるような状況を作っているんじゃないか!もちろん、そういう状況になっても罪を犯さない人も大勢いるはずだ。でも、心が弱い人間を惑わすような罠を仕掛けているのは、神様、あんただ。心の弱い人間から崇められたいから罠を仕掛けているんじゃないのか?
弱い人間から自分の罪を許してくださいと許しを請われて、神の権威で許すとか、偉そうなこと言うな!




といっても、無神論の立場からは、何をしょうもないことで小学生みたいなこと言っているんだ(笑)と馬鹿にすることだろう・・・
そうなのだ、僕はただのバカだし、小学生以下だ。
だからこそ、ひきこもっているわけだし、生きててもしょうがないだろう・・・
自分は何の価値もない人間だ。神からもサタンからも相手にされない無価値な人間だ。だから、そこらへんのゴミのように路上に捨てられ、風化するのを待つだけだ・・・
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No title

それで、その罰当たりな「おばちゃん」は
どこへ行ったのですか?

まぁ、周りの心やさしき「仏教徒」たちが助けてくれた訳ですね。
何となく「ほとけの慈悲」の方が似合いそうな話ですが
やっぱりみゅうさんは、キリストさんの方がいいのでしょうね。

きょうは、僕のブログでは「死生観」について書いていますが
人間はいつかは必ず死ぬ運命にあるので
それが怖くないように「宗教」というものがあるように思っています。

また、宗教を通じて「あの世」を身近に置くことで
先祖や親兄弟を身近に感じ、
共に生きる時空を設定できるように思います。

そして、いかに良く死ぬかを考えることは
いかに良く生きるかを考えることだとも思います。

みゅうさんは、どう思われますか?

コメントありがとうございます!

癌ダムさんは末期癌患者さんなので大変でしょうけど、僕も生活的には苦しい毎日を送ってます。身体が健康であっても、辛い人生を送る立場から言わせていただくと、病気や外傷と無縁の者でも死について向き合って真剣に考える者もいます。そして、死に対して恐怖心を持たない者も少なくない。そこに、宗教とかそういうものが関係することなく、ただ、自分自身の考えで死を克服している者がいると思います。

少なくとも、僕は、別に死は怖くないし、神様やあの世、天国などがなくても全然平気です。もし地獄に落ちようと平気です。なぜなら、この世自体がすでに地獄だし、もし神がいるなら、神にこびへつらってまで天国に入れてもらいたいなんて思わないからです。


以上です。
あと、癌ダムさんはじめ一般の方は、医学の素人ですからわからないとおもいますけど、癌は生活習慣も遠因とはありますが、結局は遺伝子の問題ですよ。たとえば、タバコが発がんのリスクを高めるわけですが、そもそも、たばこの成分に細胞が曝露されたときに遺伝子修復するなり活性酸素を除去するなり細胞内の酵素の誘導が効率良いかどうか、すべて遺伝子が決めてます。タバコ吸っても100歳まで生きているおじいちゃんもいますし(まぁ、タバコは体に良くないのは明らかですが)。
あと、病気っていうのは、治るものじゃないです。どんな病気も治療で症状軽快しても身体にはかならず後遺症を残してます。なぜなら、組織は病気の際に炎症を起こし、炎症の後には線維化なり石灰化なり瘢痕を残すものですから。それが多ければかなりの後遺症状を呈するでしょうし、そう多くなくても長年の蓄積でトータルで症状を呈するようになってくるからです。そもそも、病気じゃなくても加齢性変化を呈します。10代ですでに動脈硬化は起きてますし。
要するに、人間、いや、生物っていうのは、生きているだけで、自らの身体を酷使しつづけ、身体は経年劣化するものであり、仕方ないのですよ、病気が治らなくても、いろんな不具合が後遺しようと・・・
すみません、希望も何もないネガティブな説明で。。。

No title

少なくとも、僕は、別に死は怖くないし、神様やあの世、天国などがなくても全然平気です。もし地獄に落ちようと平気です。

その割に、なんとネガティブで情けないことばかり書いてらっしゃいますね。
僕も死ぬのは怖くありませんが、その意味と結果としての思考や行動は正反対のようですね。

生命とDNAの話、そこまでわかっているなら話が早いや。
僕は医学の専門家ではありませんが、そういう事くらいは理解した上で
がんについての「対処法」を語っているつもりです。

あなたの説明は一面正しくはありますが、
それを語ることで、何か人にプラスがありますか?
そうとしか生物の営みを理解できないのなら、救いのないかわいそうな方ですね。
お説の通り、この世に得るものなどないと思いますよ。

No title

癌ダムさんは、やはり理性派というより感情派なんでしょうね。
ぜんぜん、話がかみ合いませんので。

でも、いいですよ。
べつにぶたれるわけでもないし、家の外に出されるわけでもないですし、警察沙汰になるわけでもないですし、実害ゼロなので。
私の家族はそういう感情的なほうだったので苦労しました。

『なぜなら、この世自体がすでに地獄だし、』
と申しあげましたように、この世に得るものなどないかなあと今のところ考えております(まだ考え中ですが)。

このブログは私の意見を人に伝えたいのではなく、僕の考えを題材に議論して賛成反対の考えの中から昇華され生み出されるようなアイデアをさがしているのです(これもネガティブというのならそう思っていただいて全然かまいません、というか、僕にはガンダムさんの気持ちや考えはどうでもいいんです)。

すみません、なんか、不愉快な気分にさせてしまって・・・

No title

なんですか、ご自身もご不幸のようですが
関わる人も不幸にしてしまう方のようですね。

まぁあなたのブログですからご自由に。
なんだかとても損した気分です。

No title

じゃぁ、一つ御忠告を。

夜中の一時まで起きているのは体に良くないですよ。

早寝早起きでご自愛頑張ってください。

(私は身体や財産や名誉などこの世的な幸福には興味ないんです・・・あくまで真理だけが欲しいです・・・・)

No title

僕は宗教にはあまり知識がないのですが、そのおばちゃんも「気づかないふりして行っちゃおう!」と思っちゃったりするのも悪いことだろうけど、その気持ちもわからなくもないし、
僕も心に余裕がある時なら、うーたんとみゅうさんのように自転車を起こすだろうし、僕が通行人の立場だったら手伝ってあげる時もあるだろうし。
って感じですね。
別に自転車起こしてくれるのを助けてくれたからその人が本当にいい人かどうかわからないと思うし、そもそも社会で生きていくために、社会に存在する人たちの本心がどうか知る必要はないと思います。

でも単純にその手伝ってくれた通行人はいい人たちですよね。僕が同じ立場だったらありがたいと思うし、うれしいと思います。
そしてそのおばちゃんには単純に「ふざけんなよクソババア…」と思いますね。
いろんな人間がいますよ!

この文章が不快に思われたら申し訳ありません。でもあまり気にしすぎない方が楽ですよ。

No title

コメントありがとうございます。
僕はどんなコメントも不愉快に思いませんよ。
僕は表現力があまりないので、現実生活でもよく他人に不愉快な思いをさせてしまいますけど、本心は別に怒ったり文句を言ったりしているわけではないです・・・

今回の自転車の件は、おばちゃんのことを別に非難しているわけではないです。
おばちゃんは良い人かもしれないし、手伝ってくれた人達は実は悪い人たちかも知れないし。

とにかく、コメントありがとうございました。
これからもどうぞよろしくお願いします。

No title

私は死ぬのが怖くありませんでした。
今は、とても怖い事だと思います。今になって分かるのは生きていくのが怖すぎて死の怖さが霞んでいたに過ぎない事が分かります。

でも、死ぬのはあくまで結果であって答えは別に用意されていると思う。
死ぬというのは自分の人生の採点を(例えだよ)される時。
だから、生物はより良い一生を望み生きるのだと信じている。
死とは有る意味では望むものであり、同時に避けなくてはいけないものでも有ると考えている。

苦痛だったりどうしょうもない理不尽でも間違いなく自分の力で乗り越えていけるし、そう生きるべきだとも思う。
そう望みながら死んでいける人生なら自分的には満点だし、結果がどう出ても「そっか」って思える。

俺は死ぬのが怖くない人は弱いと思っている。
恐れを知らぬのは怖さを知らないかからだと。
死ぬのは怖い。
でも、その時が来たのなら潔く受け入れよう。
それまでを自分の信じる生き方を迷う事無く生きる事ができれば良いのでは無いでしょうか?

幸せや満足は何時でも自分の中にしか存在しないものだから、もっとも身近な自分という名の他人の声に耳を傾けるしかないのではないでしょうか?
それが今の自分の答えです。
記事やコメントを楽しませていただきました。
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うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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