あの世

死後の世界があるような気がする・・・。
あの世は、何もない世界、何も変わらない世界。魂たちは、苦痛を感じることもなく、ただ存在しているだけの世界。魂たちは、死ぬことはなく、永遠に存在し続ける。魂同士で会話したり戯れたりしたりすることはできるが、何全億年も、永遠にだと、飽きてしまう・・・何故存在するのか意味を見出だせず、虚無感に襲われる世界・・・ある意味、地獄と言ってもいいだろう・・・ただ存在し続けさせられている島流しのように。違うのはこの世ではいつか死が終わりをもたらしてくれるが、あの世では終わりはなく永遠だ。永遠というのがどれほど大変か・・・ある者は、そんな世界でも何か目標や価値や意義を見出そうと努力する。そういう魂たちの集まっているところ、そこが天国なのかもしれない。ただ、それはうみせかけの目標だ。あの世は何も変わらず何も意味がない。何も意味がないのに、神を作り出してそれに意味や崇高さを無理やりつけて、空しさを乗り越えようとしているだけかもしれない。

この世での人生の目的は、存在することの意味について考えることなのかもしれない。何も意味がないと思われるこの世界に、それでも何か意味を見出すこと、たとえ、見出せなくても、希望を失わずに探し求め続けること、それが大切なのかもしれない。

(幼くして亡くなってしまう者も、生きている間は人生を経験している、何かを考えている。ただそれだけで生きている目的は果たしているのかもしれない。しかし、それは何のために?生きていることについて体験経験感じ考えることで、あの世に行ったときに存在することの意義についても考えることができるからか?)

この世では楽しさや幸福などは真の価値はなく、それらはあくまで一つのきっかけに過ぎなく、考えるための駆動剤だったり、考えるためのヒントだったり、とにかく、ただ考えることにのみ価値があるとしたら、考えるために生きようとし、生きていると考えることができ、病気や死で考えようとするのが自然に止まっても、そのまま安らかにあの世へ行ける。

(もし、生きているときに人生の意味を考えるのをやめてしまって死んだなら、あの世ではどうなるのだろう?)

ただし、あの世に行ったら、もう考えなくていいというわけではなく、逆に、この世と同じように自然に考え続ける習慣を持って過ごしていくのかもしれない。あの世で考えるのは、この世での考えるレベルの一つ上を行っているかもしれない。いや、むしろ下のレベルなのかもしれない。
この世にわざわざ生まれてきたのはあの世ではできない思考を行うためなのかもしれない。あの世では、駆動剤もきっかけも何もなくて考えが進まないのかもしれない。何しろ、あの世では。苦痛も幸福もなく、ただ存在するだけ、じっとしているだけなので、考えないでいればいくらでも考えないでいることができるのだろう・・・考えないでいることで、何のマイナスもないのだろうが、プラスもない・・・あの世でプラスなこと、価値のあること、とは考えることなのかもしれない。この世でも、人生の意味なんて考えても仕方のないこと、意味のないこと、価値のないことと、言われることが多いけれど、あの世でも、周りの地獄の住人からそう囁かれて、それに従ってしまえば虚無の中で何もせずにただ存在することになってしまう。それこそが、地獄であり、虚無・無意味の満ちた世界なんだろう。天国とは、何もないはずの世界に意味を見つけようとする崇高な意志で満たされた世界なのかもしれない。確かに、意味がないと諦めて、何もせず、何も考えずにいれば、それが一番安定しているのかもしれない。だけど、それじゃあ、本当に何の意味もなくなってしまう。そんな世界では魂は他の魂に対しても価値を見出さず希望も何もない暗い世界になってしまう。神を信じてあの世に行った魂は何もない世界で神の存在も感じれない世界で希望を持てるだろうか?考えることを諦めない魂はあの世に行ったら、何もない世界でも、考え続け、希望を捨てずに、意味を求め続ける。そういう魂が集う世界では、お互いに価値ある存在として尊重し合い、希望を捨てない。あの世はこの世よりも何もない世界だから、この世で希望や信じる気持ちを持てなければ、あの世ではなおさら絶望し何かを信じる気にはなれない。。。この世での何かに希望や幸福や価値を持ってしまった魂は、あの世に行った時、何も存在しないあの世で、失望して絶望してしまうことだろう。何もなくても失望することなく、むしろ、何もなくても何か意味や価値を見出そうとする魂は、あの世で希望を永遠に持てることだろう。何故存在するのかを考え続ける。存在することの意味を、価値を考える、希望を持って、肯定的に。

(あの世で、イエスや釈迦はそれぞれ神や仏陀などの神を作り上げて魂たちがその神のもとに集まるように説き、ただ神のそばにいるだけで、幸せな気分を持つことができると洗脳しているのかもしれない。でないと、何もないあの世で魂たちは虚無感で失望してただじっとしているだけの暗い場所になってしまうから・・・)


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絶対の幸福

こんばんは。

絶対の幸福になったら、
上記の想像・妄想は、木端微塵に粉砕されます。

そして、この世もあの世も、
すべてハッキリします。

「かもしれない。。。」
「気がする。。。」

などという、ハッキリしない、
あいまいなものではありません。

生きている現在ただいま、
過去・現在・未来がハッキリします。

それが、 「無碍の一道」 という世界です。
一切が障りにならない唯一世界。
それが、みゅうさんの求めている人生究極の目的です。

No title

コメントありがとうございます。
私はいつも可能性を考えて考えるんです。
少しでも可能性があればそれを見過ごさないようにしたいし、可能性が高くても疑ってみます。

あと、世の中には絶対はないと思うんですが(これすら断言できませんが)、絶対とか断言とかそういうのはまず疑ってかかるほうなんです・・・

No title

僕は、交通事故で死にかけて
文字通り、あの世に半分まで行った事がありますが
光もあれば、とても綺麗な花も咲いていて
音楽も流れていれば、河(たぶん三途の川ですね)も流れていて
「何もない世界」なんかではありませんでしたよ。

こうした話は、僕以外にも共通していて
半分行って帰ってきた人の多くがこういう話を書いています。

生きる目的というのは
バクテリアだって、僕たちだってそれは等しく「生きるため」です。
生きるという事は子孫を残す事です。
僕たち生命体は「子孫」という形で
「永遠の命」=自らのDNAを継承しようとしているのですね。

だから子育ては、生命としての義務であり使命です。
それが終わったら、別に後は自由ですから
「個人の目的」ノ余生を勝手に使えばいいのではないでしょうか。

僕が死んでも、僕のDNAは他のDVAと混ざり合いながら
子供の、孫の体内で生き続けます。
たかが「個体」の分際で、生きる意味などを考えるのは
無意味というか、生命の1パーツに過ぎない僕らに、
生命の何たるかなんて解かるわけが無いのかも知れませんね。

個人の生きる意味なら、いくらでも探しようがありますけど…ね。

生きることって、そんなに「意味」を探さなきゃならないほど
つまらなく、また大変なことなんでしょうか?
僕は生きてて、幸せだし、とてもうれしいことですが…。

No title

コメントありがとうございます!すごくうれしかったです。

>僕は、交通事故で死にかけて 文字通り、あの世に半分まで行った事がありますが 光もあれば、とても綺麗な花も咲いていて
音楽も流れていれば、河(たぶん三途の川ですね)も流れていて
「何もない世界」なんかではありませんでしたよ。


あの世が存在すると言うことですね。その体験が極限状態の脳の異常活動の結果かもしれないとは思いませんか?本当にあの世を見てきたとしたら(その方が僕にも希望が持てるのですが)、あの世の住人に、「人が存在する」理由を教えてもらえば、はっきりしますよね。なんで、人は存在するのか?苦しい人生を歩まなければいけないのか?なんで、世界に虐待や拷問、猟奇殺人など理不尽な出来事があるのか?など・・・


>生きるという事は子孫を残す事です。


結婚できない人や、子供を持てない夫婦などは生きている資格がないのかなあ・・・あるいは、勝手に好きなことをすればいいのかもしれませんが。でも、趣味もなく生きていることに何の楽しみもない人はどうすれば・・・特に親に束縛されて厳しく折檻されて虐待されて抵抗することもできずに死んでいく子供とかは・・・


人は生まれたくて生まれてきたわけではなく、 生きる目的などないのかもしれませんね。しかし、他の生物と違って人間は自分の存在を認識し、存在する意味を考える才能が有ります。生殖という能力もすごい能力でしょうが、他の生物にはない「みずからの存在を自覚し疑問を持つ」能力を使うことが人間の義務かもしれませんね。

No title

臨死体験者は、ほぼ同じような情景を語りますが
その体験が極限状態の脳の異常活動の結果だとしたら
それぞれ違ってしかるべきだとは思いませんか?
さまざまな疑問について「あの世の住人」も、
そんなことは知らない!と答えるとは思いませんか?

趣味もなく生きていることに何の楽しみもない人はどうすれば・・・特に親に束縛されて厳しく折檻されて虐待されて抵抗することもできずに死んでいく子供とかは・・・
貴方はそんな立場の人なんですか?
その人なりの「答え」があるとは思いませんか?

生きる目的などないのかもしれませんね。
他の生物にはない能力を使うことが人間の義務かもしれませんね。[/色
]「かもしれない」×「かもしれない」=「???」ですから
初めから答えなど出ない「無限疑問」に陥っているのではありませんか?

[色:00FFFF]他の生物と違って人間は自分の存在を認識し、存在する意味を考える才能が有ります。他の生物にはない「みずからの存在を自覚し疑問を持つ」能力

…が、何故備わっているのかご存知ですか?

これは、同じ「人類」でも、ネアンデルタールやクロマニヨンにはない
ホモサピエンス独特の「ある能力」のせいだと考えられます。

そして、その能力を持ったが故に、共存した他の人類を全て滅ぼし
他の多くの生物を絶滅させ、地球さえも破壊しようとしています。
みゅうさんのさまざまな疑問も、その能力ゆえ…と僕は思います。

簡単な話なんですが、人は何故か信じようとしません。
怒り出す人までいますから、今は言いませんが
ひょっとして、みゅうさんなら理解していただけるかも知れません。

再度コメント…のご無礼、お許しください。

No title

>臨死体験者は、ほぼ同じような情景を語りますが
その体験が極限状態の脳の異常活動の結果だとしたら
それぞれ違ってしかるべきだとは思いませんか?


違う必要性はないと思います。脳の中の原始的な部分の異常放電が、人類共通のあるイメージを惹き起こしている、という可能性があると思います。もちろん、癌ダムさんのおっしゃるように、あの世に実際行きかけたという可能性も否定はできないと思います。


>さまざまな疑問について「あの世の住人」も、
そんなことは知らない!と答えるとは思いませんか?


知らないと言う可能性もあると思います。もし、知っていてきちんと答えられてくれてたら、あの世である信憑性が高まるんですが・・・



>趣味もなく生きていることに何の楽しみもない人はどうすれば・・・特に親に束縛されて厳しく折檻されて虐待されて抵抗することもできずに死んでいく子供とかは・・・
貴方はそんな立場の人なんですか?


私自身はそういう状況にはないですが、世の中にはそういう状況の中にいる人もいるんじゃないかと思います。


>その人なりの「答え」があるとは思いませんか?


たしかに、そういう可能性もあると思います。
だから、私も決して決めつけた考え方をしているわけではないのです。



>生きる目的などないのかもしれませんね。
他の生物にはない能力を使うことが人間の義務かもしれませんね。[/色
]「かもしれない」×「かもしれない」=「???」ですから
初めから答えなど出ない「無限疑問」に陥っているのではありませんか?


初めから答えがないと断言はできないと思うんです・・・もちろん、無限疑問に陥っている可能性もあります・・・



>他の生物と違って人間は自分の存在を認識し、存在する意味を考える才能が有ります。他の生物にはない「みずからの存在を自覚し疑問を持つ」能力
…が、何故備わっているのかご存知ですか?


いえ、知りません。もう少し詳しく教えてください。



>みゅうさんのさまざまな疑問も、その能力ゆえ…と僕は思います。
簡単な話なんですが、人は何故か信じようとしません。
怒り出す人までいますから、今は言いませんが
ひょっとして、みゅうさんなら理解していただけるかも知れません。
再度コメント…のご無礼、お許しください。



いえいえ、興味深いコメントありがとうございます!感謝してます。


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Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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