「意識はなぜあるか?」
「この世はなぜ存在するか?」

何故こんなことを考えるのかと言われたら、僕は今の人生に苦痛があるからと答える。もちろん幸せだと感じることもあったけど、苦悩が消え去ることはない。
「人生は幸せだけよりも、苦しんで努力して幸せを得た方がさらに良い」と言う人もいるが、そういうポジティブな考え方も見習いたいとは思うけど、こんなに苦しい人生なら、幸せなんかいらないから苦も取り除いてもらいたいのが一番の希望だ・・・

この世は何もかも無い状態じゃいけなかったのだろうか?
初めから物質もエネルギーも何もない状態が続くのが一番安定した状態じゃないのだろうか?
エントロピー増大の法則に従って宇宙は熱は拡散し、物は分解する方向へ向かっている。それが一番安定した状態だから。物理や化学を学んだ者なら、自然がより安定した状態へ向かうことを知っている。しかし、一番安定した状態といったら、『無』の世界ではないだろうか?
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今日は仕事が休みなので、ゆっくり過ごしています♪

みゅうさんと同じ思いを抱いたことがあり、今でも抱くことがあります。
どんなときか。
やっぱり苦しいときです。悩んでいるときです。

「人生は苦なり」

人生は考えれば考えるほど、苦しい、辛い。
そんなに辛く苦しいのに、なぜ生きねばならぬのか。
死んで 「無」 になったほうが楽になれるのではないか。

と考えたこともあります。
でも死ねない。
死んだら 「無」 になる確証がないからです。

「無」 が一番安定した状態じゃないか。
私もそう思ってみたのですが、ならばなぜ今、「無」 でなく 「存在」 するのか。
実は、「無」 が一番安定するのではなく、
なんらかの形で存在することが安定なのではないか。

そもそも 「安定」 などという状態はどこにもなく、
常に変わり続ける状態がもっとも安定した状態なのではないのか。

仏教では、「諸行無常」、 「諸法無我」
と教えられています。

諸行とは 「すべてのもの」
すべてのものは、常がない、変わり続けている。

諸法とは、これも 「すべてのもの」
「我」 とは、固定不変のもの。
すべてのものは、固定不変ではなく、その形、状態は常に変わり続けている。

「私」 自身も、諸行であり、諸法であり、
無常であり無我ということ。
「私」 というものが 「存在」 しているように思うのですが、
それは固定不変の私ではなく、常に変わり続けている。

やがて必ず死にますが、 
「死」 は形、状態が変わるだけで、
別の形で変化しつづけながら存在する。

なぜ生きるのか、なぜ生きねばならぬのか、
という問題は、
死んだらいったいどうなるのか、
という問題と同根ではないでしょうか。

まとまりのない文章ですみません。
思うままに書くと、こうなってしまうことがよくあって、
反省するばかりです。。。(><)

ではまた。

ありがとうございます

JJSGさんのブログも拝見しております

おこさんと奥様と幸せな家庭を築いているようで、何よりですね。

人生みっつの坂があるといいます。
上り坂
下り坂
まさか
という三つの坂です・・・
JJSGさんも例えば、交通事故で奥様とお子様が急に亡くなったら、親鸞聖人の教えに従って納得されたりするのでしょうか?

まさか

こんにちは。

まさか。。。が現実に起こりうると頭ではわかっています。
でも、実際に起きたら、ものすごいショックを受けると思います。
そうなったとき、自分がどうなるかは、想像つきません。

仏教、親鸞聖人の教え 「諸行無常」 の真実を、
身をもって知らされると思います。

「世の中のこと皆もって、
 そらごと・たわごと・まことあることなし」
(歎異抄)

えぇ!!

親鸞聖人の教えを学ばれたJJSGさんをもってしても、やっぱりだめですか・・・
残念です・・・

ちなみに私は子供をなくしてしまい、おさなごがなくなってしまうこの世に納得できません。。。
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うーたんとみゅう

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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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