無題(自分だけのメモ帳)

何もない世界にはならなかった理由があるはずだ。

僕がいないという現実にはならなかった理由があるはずだ。

もしくはそれぞれない世界も並行して存在しているという可能性もあるけど・・・

何もない世界という言葉自体が間違っている。世界といった時点で何もないと言うことはできない、空間があるから。正確に言うなら、何もないと言わなければいけない。何もないということがあり得るのか?それは第三者からは観測できない。観念上、想像上、何もないというのを考えることはできるが、見て確かめることはできない。
同じように、僕がいないという現実、というか、僕がいないという心象は僕自身がいないと確定することはできない。第三者から見れば、初めから、僕がいるのかいないのかわからない、わからないままこの世で僕と接している。
僕がいる、いないというのは僕がいて初めて成り立つことだ。

人間原理という宇宙論がある。
人間がいないような宇宙は存在しても観測されえない。人間がいるような宇宙でないと存在していると認められない。今のこの宇宙が微妙なバランスの上に成り立って存在しているというのは、そうでなければ人間が宇宙を観測し得ないから。というような理論だ。

応用して考えると、これは僕個人の存在にも当てはまるような気がする。僕が存在するこの世界以外に、そうじゃない世界も想像はできるけれど、実際に存在するこの世界は僕がいるから観測し得るのだ。といっても、僕の見える世界、見ている人が僕にとってどのように感じるかを僕の感じ方でとらえているということに過ぎないのだが。

この世界が存在することを時系列に沿って考えるのは三次元(時を入れて四次元)に住む人間の考え方であり、神(もしいるならば)が時間を超越してこの世界を見るならば、時の初めから終わりまでを一括りにして見ているかもしれない。人間の人生、この世界の歴史を積分して見ているかもしれない。逆に神の作ったこの世界は神の次元の微分なのかもしれない。微分・・・もっともっと微分していけばゼロ、すなわち無に帰するだろう・・・もしかしたら有が無になり得るし、無から有が生まれるのかもしれない。。。

しかし、神が時を超越していても、人間はその時その時を生きている。なぜ今が今なのか?なぜ今日が昨日でなく今日なのだ?と思っても時刻はその時点の時刻を刻一刻と刻むだけ。人間は時間に支配されている。
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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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