何のために生きるか?

何のために生きるか?

一体なんの為に生きるのか?愛する者を失い何に情熱を傾けて生きていけばいいかさっぱり思いつかない。
もう自分の人生の限界がわかってしまった。これから何か新しい未知なる領域に行けるわけではないことを知ってしまった。自分がこの世に生まれてきて経験できる様々な幸せをおおかた体験し、そして、あとはもう何も経験することがない現状では、この先、生きていても仕方ない、いや、生きていても苦しいことばかりだという結論に至っている。自殺したくなってくる。

世のほとんどの人は、楽しさや忙しさに身を委ねて自然に寿命が来るのを待っている。それが一番の理想の生き方・死に方だろう。

そもそも何で生まれてきたか?目的や意義があるのだろうか?それを果たさなければ、死んでもまた輪廻転生して同じような人生を繰り返していくかもしれない・・・
そういう仮説は無視した方がいいのかもしれないが、どうせ、自殺できずに仕方なく生きているのなら、そういう可能性について考え、対策を立てていく方がマシかもしれない。
どうせ対策なんて立てられないだろう、前提が間違っている可能性の方が高いから。結局なにもわからないまま、寿命が来てしまうのだろう。。。

もう一度最初の問いに戻る。何の為に生きるのか?
死んだ後のことを心配して、その対策をたてるだけで、生きてる時間が過ぎ去るのを指をくわえて待っているのか?
それじゃ本末転倒だ。
そんなのはおかしい。
あり得ない。
そんな態度で人生の真理なんかわかるわけがない。
そんな姿勢で偉大な真実を得ようなんて間違ってる。

やらなければいけないのは、生きている間にしかできないことを精一杯やって、かつ、人生の意味を探すことだろう。この二つがクルマの両輪のように大切なのだ。
であれば、この世界の掟に従って、食う為に働き、家庭を持ち、家族を養っていくのが、まずは大事なことだろう。子どもが不幸になるかもしれないリスクがあっても、この世が理不尽であっても、それが私の産み落とされたこの世界では、このルールに従うしかないのだ。
しかし、さらに人生の意義や本質を見失ってはいけない。仕事と家庭と社会生活を両立していかなければならない。

しかも、キリスト教の教えも真実かもしれないのだから、神を愛したり隣人を愛したりも考えなければならない。
キリスト教では、別に必ずしも結婚しなければいけないとは言ってないし、それより何より神を愛すること、罪を悔い改めることが大事なのだから、それを第一に考え生きていかなければならない。

しかし、仏教やその他の宗教もあるなかで、キリスト教の教えに盲目的に従うのは危険だ。

仏教では煩悩や欲を戒めている。他の宗教でも自己中心的な思いを諌めている。
家庭を持ちながらも、家族のことを優先していては駄目なんだろう。自分を捨て他人のために生きていく必要がある。
社会全体のために奉仕する必要があるのだ。

とにかく、この世に生まれてきたからには一生懸命生きて、そして生きる意味を探す、それしかない。自殺は生まれてきたことに真っ向から逆行するものであり、人生を否定し、何の意味も持たない。。

働かない蟻にも意義があるし、みな何かしらの役割をもって社会に貢献しているはずだ。その上で人生の意味を見つけたい。

まずは、いるかいないかわからないけれど神に対して、神を愛すること、それと日々の労働をきちんとやっていく決意と、人生の意味を求めていることを祈り求めるか…。


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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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