実体・自分・記憶

よく仏教では、物事に実体はない、実体がないものは存在しているとは言えない。自分というのものも存在しないという。

ここで仏教が言っている「実体」とは、持続的に存在する物の本質のことであろう。

無常を主張する仏教からしたら、すべての事物は変化するものなのだから、持続的に存在するものはなく、したがって実体はないと言うのは当然であるけれど、だからといって、存在していると言えないと言うのは、愚かな結論に僕には思える。


確かに、事物も自分というものも、時々刻々変化してしまうけれど、だからと言って存在しないというわけではない。

実体がない(持続して存在していない)存在の仕方もあるわけだし、全てのものが変化しながら存在を維持しているともいえる。





ここからが本題だ


自分という存在は変化している。とくに記憶は蓄積するし忘却もある。考えは変わり性格も丸くなる。幼かった頃の自分は今とは違った人格のようにも思えることも一部あるだろう。
しかし、根本的に変わらないものがあるはずだ。少なくとも自分を意識する自分は変わらない。。。

記憶が一番重要だ。

(まだ結論はない。これから考えていきたい・・・)


人生の意味

何のために生きるか


記憶というのも特殊な能力だが、そもそも・・・


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No title

こんにちは。時々見ています。見つけたコメント、どう思われますか。

・・・・・・・
『人生は1回しか生きられない』とのことですが、私は『真実の世界においては確かに人生は一回きりかも知れないが、この世は虚構だから誰も死なないし、1回きりの登場の人もいれば数回登場する人もいる』と思います。
 それは、『遺伝子DNAは誰が作ったのか』、『物質(原子)は誰が作ったのか』を考えた結果として『この世は虚構だ』と確信したからです。

1、『遺伝子DNAは誰が作ったのか』

 地球上の全ての生命に遺伝子DNAが組み込まれているが、遺伝子DNAは自然や偶然に出来るものではないし、人間の科学でも作れません。では誰が作ったのかと言うことですが、作ったのは「遠い未来の人間」だと思います。

2、『物質(原子)は誰が作ったのか』

 地球上の物質(原子)は百余り有りますが、必ず、陽子・中性子・電子の3者で構成され、それ以外の構成は存在しないし、規則性とか法則性に支配されています。
 また中性子は中性子線を内包し、特定の物質(原子)はアルファー線とかベータ線などを放射して崩壊し、電子は電荷を内包しています。
 こんな複雑なものが自然や偶然で出来るのでしょうか。どうしたら放射線を作ることが出来るのでしょうか。色々と考えた結果、自然や偶然で物質(原子)を作るのは不可能であり、私たちの世界は人工的に作られた虚構だと確信しました。

3、私たちは人工的に作られた肉体を使って、人工的に作られた「場」で生活をしているのであり、本当の自分は「遠い未来」にいると思います。ですから、『この世は虚構だから誰も死なない』と思います。
・・・・・

回答

コメントありがとうございます。


〉遺伝子DNAは自然や偶然に出来るものではないし

〉複雑なものが自然や偶然で出来るのでしょうか

複雑だから、自然や偶然にできるものではないと決めつける必要はないでしょうね。何しろ、何万年も何億年もこの世界が存在している間にいろんな偶然が積み重なって出来る可能性はありますから。

〉本当の自分は「遠い未来」にいると思います。

本当の自分はいつからこの世界に誕生したのか、、、
本当の自分を生み出したものは一体なにか?
考えていくと、何もかも、自然がある時人間を生命を生み出したと考えられてきます…はっきりわかりませんが。

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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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