自由vs束縛

僕が時々読む漫画雑誌『近代麻雀』の『鉄鳴きの麒麟児』は、鼻白むくらい哲学的な漫画だ。哲学的というか、人生の意味を追い求めている…

今号では、自由について語っているし、前号では、死んだ後閻魔様に生きている間何をしてきたかを問われても堂々と答えられるように生きたいと語っている。

今号の『自由』については、ある大資産家で自分の会社も自分がいなくても勝手に利益を上げてくれているので、自分は麻雀なり海外旅行なり自由に好きなことをしていられるという人が、一般庶民が腕時計やスマホを所有して束縛されていることを皮肉っている場面があった。


たしかに、携帯もスマホも腕時計すらも持たず、仕事に縛られず、時間に囚われずに生活できたらどんなにいいだろう。

そして、麻雀の場合は、自分の手だけでなく、相手の攻撃や立直にオリなければならなくなったり、そういう束縛があるわけだが、相手なんか気にせず、自由にのびのび自分の手を育てられたらどんなにいいだろう。


ルールには最低限しばられるけれども、定石にとらわれず、自分の好きなようにやる。うまくいけばもちろん、うまくいかなくても自分の好きにできていることに満足する。


自分の好きなようにできる、自分の理想と現実が違っていてもそれでも自分の意志を貫く…


なんだか損なことばかりで、器用貧乏で、他人からみても敬遠したくなるような生き方であっても、本人がそれを受け入れられていればそれはそれで素晴らしいことなのかもしれない。


まるで、未開の土地の原住民が、文明人の訪問を受けても、文明の遅れを気にせず、自分たちの風習を守っていくように。



ダラダラ書いてしまった、ここまでは前置きだ。



ここから本題だ。



ユダヤ教は礼拝の仕方や普段の生活に律法が細かく定められている。後から現れたイエスキリストは律法に縛られない(本質的な愛の)大切さを説いた。しかし、規律はあった方がいい!規律に縛られて本末転倒になってしまう危うさもあるが、規律や決まりやがあると、そのルールに従って、毎日を安心感を持って規則正しく暮らしていける。もちろん、安定した日々ではないかもしれないが、これでやっていくしかないんだという覚悟ができる。これでいいんだという傲慢怠慢には気をつけないといけないけれど。そう、大事なのは、謙虚に控え目に、規律を守ること。自分を正当化せずに。これで良いんだと結論づけず、いつも、謙虚に…









自由があれば己の行動に不安が出てくる。怠慢怠惰の不安が。


制約があれば制約だけ守っていれば良いのかなという怠慢傲慢が出てくる恐れがある。


やはり、バランスか…


制約の中では自由を理想とし、自由の中では規律や自己規制を大切にする…


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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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