『自分で自分を裁くことすらしません』

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『自分で自分を裁くことすらしません』

という言葉・・・



PODCASTで聴く礼拝メッセージで、プロテスタントの牧師さんが「自分の罪を悔い改めましょう」よく言っている。

しかし、僕は、それをいつも違和感をもって聴いている。なぜなら、自分の罪というのは、いったい何なのか、わからないからだ。そりゃあ、自分に悪いところや落ち度や失敗はいくらでもあるけれど、それらがすべて、何とか頑張ってやっている結果であって、間違った方向に努力して、見当違いの間抜けな努力なんだろうけど、でも、どうすることもできないというか、自分の能力は正悪を判断できず、何が良いか何がいけないか、知性が劣っているからであり、これ以上どうすればいいの?といった問いを神に発しても、神は無言沈黙であり、本当にどうしようもない。。。

もちろん、明らかに自分が悪いことをした時は悔い改めたい。しかし、人生や日々の生活において、何が悪くて何が良かったのなんて、わからないことが多過ぎる・・・

だから「先走って何も裁いてはいけません」と言われると、納得がいく・・・

他人のことも、自分のことも裁いてはならない・・・・

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「盲亀の浮木」
人とのつながりは盲亀浮木の如く。
大海に住む盲目の亀が百年にただ一度だけ海面に浮かんでくる時に、
たまたま穴の開いた流木が浮いて、その流木の穴に首入れるという仏教の寓話があります。
言わば、めぐり合うことは非常に難しいことの例えです。

このように考えてみると、
血のつながる家族となることは、盲亀浮木のような奇跡の確率です。
生まれてくることは、両親がいます。
両親のそれぞれの両親、4人。時間軸をさかのぼっていくと、 
10代を遡ったら自分と同じ血が流れている先祖は1024人。
20代前だと100万人!!

そのうちのただのひとりでも欠けたら、自分はいま存在していないです。
「命」を次につないできたから、現在の自分の「命」があります・・・
奇跡的なことのように思えます。
先祖に手を合わせて感謝の心は常に大切にしていきたいです。

大自然の法則さんへ

コメントありがとうございます。
奇跡といっても、必然的に子供には必ず2人の親が存在しますよね。
むしろ、親の例えではなく、兄弟がいたら、それが奇跡的と考えられますね。
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うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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