無題

(ある人のブログを読んでいて、考えるヒントを得た。
その人のブログの内容から、僕個人の考えていることへ話が飛躍しているけれど、とにかく、他の人のブログや書物や意見を読みながら、その時々にインスピレーションを得られるのはありがたい・・・)


いろんな執着を捨てて、最後に残る執着とは、、、生きていく上での自分の信念。
執着とは、あれしたいとか、これしたいとか、楽しみや理想のことだけではない。辛いことから逃げたいとか、平凡に生きたいとか、そういうのも執着だ。楽しみも幸せも得られず、毎日苦しいことや悩みが次々現れ、何とか苦難のなるべく少ない穏やかな人生を暮らしたい願いも虚しく、悪戦苦闘する日々てあっても、自分の信念だけはぶれずに持ち続けたい。。。
この世での現実的な幸せや平凡平和への夢・執着を捨てて、神への信頼を抱き続けたい。


神を信頼しても、大変な困難に遭遇する日は少なくない。子どもも親を信頼してても、親から理不尽なお仕置きを受けることが多いと、やがて反抗していく。神からの試練の意味がわからないと神への信仰はやがてなくなっていくが、困難や苦難が自分のために必要なものであることを悟れば、神への信頼は続いていく。どんな虐待にあっても乳幼児期の子どもは親を無条件に愛して信頼していく。親に対して『何故?』と疑問を持ちつつも。



信じること、、、それは、幼い子どもが生きていくことに何の疑問も持たずに、今は辛くとも明日には嬉しい一日になっているはずと思う気持ち。 いや、具体的には、幼い子どもが想うことは、親への愛・信頼だろう。親が今は不機嫌でも明日には機嫌良く自分を愛してくれるだろうという信頼。生活が苦しくてもひもじくても親が笑顔で自分に接してくれれば子どもは幸せであり、親が怒っていたり、悲しそうにしていたりすれば、子どもも悲しくなり、いつまでも親が不機嫌ならば子どもは次第に親を信頼しなくなっていく。。。また、子どもが現実的な楽しみに心を奪われていけば、親への愛も薄くなっていく。
子どもは、生まれつき、神の存在を想像する。自分の祖父母や両親の魂を重ねてる場合もあるだろう。結局、親への愛は、神への愛と同じなのかもしれない、少なくとも子どもの頃は。もちろん成長しても、親への愛と神への愛が同じ人もいるだろう、現実的なしがらみにとらわれていなければ。



生きていると、自分の抱いている信念に対して自信を失うような出来事が何度も何度も襲ってくる。だけど、七転び八起きの精神で、自信を失いそうになりながらも、立ち上がり、また歩き出すこと。人生は人に試練を与え続けてくる。いつになったら、人が諦めるか、試してくる。その試練に負けてはならない!



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来ていただいて、ありがとうございます。

ふつうのオバちゃんこと、風子。
初コメントです。

うーたんとみゅう(ニックネームの由来は?)さんの……、
『何のために生きるのか、人生の意味を探し続けています。』
が、気になって、ちょっと寄ってみました。

30代くらいから同じことを思い続けて……、
それこそ、神を脅迫しかねないほど切望して、
私の魂レベルに応じた(たぶん)、『答え』をもらいました。

自らの『存在の理由』が知りたいって、
ステキな状態ですよねぇ。

人は肉体だけではないのでは?
だとすれば意識体?
死んだら、その意識はどこへ? などと、
肉体レベルのあなたが、
自らの魂の欲求に気づいている証だと感じます。

仕事は多忙を極めていらっっしゃるみたいですが、
少しづつでも読み進めていただくと、
うーたんとみゅうさんの人生のヒントになるかも…です。

風子ブログは、あくまでも参考程度ですが、
あなたが『存在の理由』を知るのは、
時間の問題だと思います。(@^^)/~~~



風子さんへ

コメントありがとうございます。

>あなたが『存在の理由』を知るのは、
>時間の問題だと思います。(@^^)/~~~

そういってくださるのは大変嬉しいのですが、何しろ、もう数十年も追い求めていて、いい加減、諦めかけてますが・・・(^^;)

PSニックネームの由来は気にされないでください・・・
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うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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