働く目的

働くとはどういうことだろう?

日本では、働くことはやりがいがあり、生きがいであり、意義深いことと考える風潮がある。一方、キリスト教文化の欧米では、働くことは、神から罰として課せられた労働という考えらしい。

聖書、創世記において

第3章17~19節
更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。
あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

つまり、人(アダム)が善悪を知る木の実を食べるという罪を犯した罰として、『顔に汗してパンを食べ』なければいけなくなった、という箇所が欧米の労働に対する考えなのだ・・・

しかし、そもそも、神は、まだ罪をとして犯す前のアダムに

第2章15節
主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。

という、エデンの園での農業をアダムに行わせていたわけで、う~~ん・・・
罰ではなく、初めから、労働者として人を使っていたわけだ・・・
もちろん、現代でもガーデニングが趣味の人もいるわけで、エデンの園を耕すことは労働ではなく趣味・生きがいとして楽しいものだったのかもしれないが・・・(僕の場合は、動物の飼育なら楽しいと感じるが・・・)


前置きはここまでにして、、、


働く目的を、自分が食っていくためとか、自分の生きがいとして楽しむためとかでは、虚しいような気がする。やはり、人の為(あるいは、神の為でもいいけど)にするのが空しくならなくていいかもしれない。

ただし、一生懸命働いたつもりでも、人の為になっていないことも少なくないであろう・・・他人の益になっていなくても、それは仕方ない。しかし、絶対、他人の害にならないようにひっそりと働きたい・・・

といっても、やっぱり、自分がいることで職場の雰囲気が暗くなるとか、場がしらけてしまうとか、そんなことは多いであろうし、お客さんにまず機会損失させてしまう可能性も高いわけで・・・(いや、ここまで考えるのは自責的すぎるだろう・・・自責的に考える必要はないはずだ・・・)

なるべく、雰囲気が良くなるよう努力すべきだろうが・・・

地道に誠実にまじめにやっていくだけだ・・・

それで明らかにクレームが来たりすればその時、謝れば良いし、解雇されるのも良いし、できるだけ頑張るしかない・・・


また、働くだけが、神の与えた『顔に汗してパンを食べ』るという罰ではない。病気で働けない人も、闘病というのが汗することになるのだろうし、子どもだって、同じかもしれない・・・

まぁ、いずれにしろ、苦しんで野の草を食べ、最終的には、その土にかえるのが人間のゴールなのか・・・気になる甘美な果実を食べる生活から、土に生える物を食べ、死んで、地べたに腐って、地に生える草の養分肥やしになればいいということか・・・

いや、もう、旧約聖書のことは考えないようにしよう・・・憂鬱になってくる・・・

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