「今」



「今」は、動物にとっては、どう認識されているだろうか?
いや、動物の生活に、「今」なんて概念は全く出てこない、不要なものだろう。
「今」なんて言葉は、人間の他の人に、しばらく先の話でもなく以前の話でもなく、まさに今、ということを伝えるために生み出されたコミュニケーション上必要な概念だったから、人間にしか「今」という観念は存在しないだろう。。。




とにかく、「今」というのが、どんな概念なのか、絶対的な基準があるのか、追求していかなければいけない…


ところで、今の反対は何か?過去や未来ではなく、永遠だろう。
ゼロの反対が無限大であるように。


認知症の人は見当識障害を起こすことがある。
つまり、今がいつなのか?わからなくなるのだ。(他にも、ここがどこなのか?目の前にいる家族が誰なのか?もわからなくなったり・・・)


何故、今がいつなのか?わからなくなるのか?


これと似たような状態は、子どもが夢遊病で歩いているとき、今が夜中だということをわからずにいたりする。



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No title

お見舞いありがとうございました。
おかげさまで、傷口は何とか閉じたようです。

さて、「いま」の概念ですが、コトバ的な定義から言うと
「過去」でも「未来」でもない時間を示すコトバ
もしくは、「過去」と「未来」をつなぐ瞬間を表すコトバでしょうね。

ところで、反対語というのは、逆もまた成立しなければなりません。
ゼロの反対は無限大で、無限大の反対はゼロですが
永遠の反対は瞬間であって、「いま」ではないことから
「いま」の反対語は、「永遠」ではないと証明されます。

あえて言うなら、時を表す概念は
「過去」「現在:いま」「未来」の三択ですから
「じゃんけん」と同じように、制反対の極は存在せず
以下のような概念になると考えます。
「いま」とは、過去でも未来でもない時空のことで
「過去」は、現在でも未来でもない時空:時間と空間
「未来」は、現在でも過去でもない時空と表現できると思います。


また、動物にも、過去の記憶は存在しますから
少なくとも「過去」と「現在」の区別はついていると考えられます。
人間だけに思考があると考えるのは
人類の奢りというもので、僕らも、ただの動物の一種ですよね。

それよりも、何の為に「いま」を考えるのか?
そっちの方が大事なのではないでしょうか?
もしかして、「いま」が無限に存在するタイムマシンでも開発中ですか?

ちなみに、一度ならず、死と向かい合った僕にとっては
「いま」とは「一期一会」の同義語でもあります。
 
こういう議論、決して嫌いではありません(笑)
失礼いたしました。

癌ダムさん、コメントありがとうございます!

「今」「過去」「未来」がじゃんけんのグーチョキパーという考え、参考になります!(キリスト教の三位一体のような関係かもなぁ・・・)



今の反対は永遠だと思います。
瞬間の反対も永遠だと思います。
永遠の反対は今もしくは瞬間(その時の文脈次第)

(例えば、ゼロの反対が∞、∞の反対がゼロかマイナス∞かは文脈次第なように)



動物と人間を一緒に考えるのももちろんアリですけど、そうすると、石ころも人間も一緒、同じ物質だからということになります。石ころも人間も構成分子が振動しているわけですが、人間の分子の動きはさらに複雑に動いているし、人間は動物よりもさらに高度な脳活動を行っていて、やはり次元が違うと考えざるを得ませんね・・・


共通点を探すのも大事ですし、相違点、何が違うのか、何が素晴らしいのかを考えていくと、どんどん向上していけそうに思えます。。。



何のために「今」を考えるか?

それは、「今私が存在する」という絶対の真実をもっと詳しく考察したいのです・・・

「過去私が存在した」というのが真実かどうかはわかりませんが(懐疑主義者のような哲学的考えで、ついてこれない方も多いでしょうが、あくまで、私が独りで勝手に考えていることなので気にしないでください)、「過去」と「今」は全然質が違うし、「今」がわからなければ「未来」も想像できない・・・



「一期一会」良い言葉ですよね・・・
私は自分の死と向き合ったことはないですが、身内の死に直面したことはあります・・・・

No title

個人の独り言であれば、日記帳に書けばいい訳で
ブログという「誰かに読まれる場」に書く限り
間違っていれば、批判されることもあれば、炎上することもある。
その言い訳は通用しませんよね。

さて、今の反対は永遠だと思うのは、ご勝手ですが
明らかな「間違い」なら正すべきです。

瞬間(最も短い時間)の反対は永遠(最も長い時間)ですよね。
今(現在)は、過去と未来の中間点で、異なる尺度のコトバですから
永遠の反対は今ではありません。
もしかして、「今という瞬間」と近藤されていませんか?

マイナス∞という文脈で語るのなら、それは詭弁というもので
むしろ、ゼロは、プラスとマイナスの中間点という、
三角関係の文脈を考えるべきでしょう。
そうした意味では、ゼロと今は似ていますよね。

それから、石ころは鉱物で、生き物ではありませんから
それは「暴論」であって、反論になっておりません。
昨日のニュースで、霊長類の記憶についての研究が紹介されていましたが、僕が話しているのは、例えばそういう事です。
人類は、決して特別な存在ではなく
進化の過程で現れた霊長類の一種であり
他の霊長類も、それと同じような特長や考える力を持っている
・・・と、考える方が、正しいアプローチですね。

貴君のおっしゃるのは、地球が宇宙の中心で
天が、地球の周りをまわっており、回しているのは神様だ
というような、間違った基準の話ではないでしょうか?

論理というのは、事実の上に組み立てられるべきもので
虚構の上に組み立てられたモノは、どこまで行っても虚構ですよね。

、「今私が存在する」というのは、絶対の真実なんでしょうか?
世の中は「相対的なもの」ですから、
絶対的真実なんてものは、そもそも存在せず
要は、神様なんかいないんだ…という処から出発しないと
な~んも見えてこないと思いますよ。

とりあえず、今の反対は永遠ではないことから始めましょう。
次回は、勝手な思いではなく
論理的に納得のいく反論をお願いいたします。

なんのために生きるのか?は
ご自身の死生観を見つめ直すことだと、僕は思います。
それに向き合うことは、怖い事ですか?

余計な一言ですね。失礼いたしました。
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Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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