僥倖に近づく方向に、自分の人生は進んでいるのだろうか?

現実的な価値観、幸不幸、運不運などと対極をなす人生の意味・自分という意識の存在の謎、これらの答えを得られる僥倖に近づく方向に、自分の人生は進んでいるのだろうか?

例えば孤独や悩みや不運が、自分という意識の存在の謎を解くのに役立っているのだろうか?

他人に対する愛、これを追い求めることが人生の目的だとしたら、なぜ、愛が自分の意識の存在に関係するのか。。。科学的に考えようとすると、もちろん、愛なんてものは科学の対象になりがたいし、関係なさそうに見える。。。しかし、そういう思い込みは捨てて、よく考えたい・・・



キーワードは「苦しみ」「感じる」「錯覚」「意識」「他者への想い」「自分と他者」「自分と世界」「他者の為に自分が苦しみを代わりに請け負う」「過去」「未来」「過去の自分」「過去の他者」「未来の他者」「他者の苦しみ」「自分の苦しみ」・・・

他者の苦しみを代わりに引き受けることが愛だとしたら、そのためには自分という意識が必要であり、意識のあるかないかわからない(もしかしたらゾンビかもしれない)他者に対して、自分を犠牲にして献身することは、まったくナンセンスかもしれない可能性がある。もし、自由意志などなく物質主義的に脳の単なる反応にすぎないのなら、他者への愛も無意味だし、自分の自己犠牲も全く無意味だ。。。
しかし、少なくとも、自分という意識は存在する。他人に意識は存在しないかもしれないけれども、自分の意識を自覚できれば、他者への献身、自己犠牲は、自分という魂の尊さはあると思われる(自己満足に過ぎないかもしれないが)。


親が我が子の為に自分を犠牲にするのは、脳の母性本能という単なる反応であり、意味はない。しかし、そうではない他者への「愛」は、脳の反応に過ぎない行為ではない場合、非常に不可思議であり、だけど、意味があり、だからこそ、自分という意識の存在は必要なわけだ・・・

(意味不明ですみません・・・自分自身への覚書なので)
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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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