もし、あと1か月の命と告知されたら


身体の調子が悪くなっていき病院受診したらすでに末期癌で余命1か月と言われたら?
今の私の場合、どういう気持ちになるだろう?
私の今の状況は苦しい状況だ。だから、死ねることにほっと安堵するかもしれない。
しかし、今までの私の人生が苦難の連続で、かつ、それに立ち向かおうと自分なりに頑張ってきて、いつか報われるものと思っている状況だ。だから、このまま報われることなく死ぬことに、「本当に報われないのか?今までの人生は一体何だったのか?」「あと1か月で何か答えが見つかるのか?」「いや、このまま、いや、これからは癌の苦痛も加わってますます惨めな1か月になるのだ」と悲観してしまうかもしれない・・・残される家族にも申し訳ない気持ちになるかもしれない・・・こんなどうしようもない自分に突き合わせてしまって、、それでも、何か期待を寄せてくれていたのを、結局恩返しできなくて・・・

たぶん、癌の疼痛に大きく左右されるだろう。緩和ケアは多少意識を朦朧とさせてくれるだろうが、痛みが気持ちを弱気にさせるだろう。弱気というか、悲観的、ネガティブ思考に・・・
今までの人生がすべて無駄だったということに、「何故?」「神は説明してくれるのか?」「死んだ後に、先に亡くなった家族に会えるのだろうか?」「それとも、ただの無に帰するのだろうか?」
「とにかく、何よりも、この吐き気、気持ち悪さ、激痛を何とかしてほしい、何とか少しでも軽くしてほしい、けど、死ぬ瞬間までますますひどくなる一方なんだろうな、子どもが風邪ひいて、寝て、何とか耐えて、やがて回復するような、そんなのとは正反対に、待ってても待ってても回復することなくどんどんひどくなって、待つ甲斐なく、苦しいだけなんだろうな・・・」と・・・

人生は歳をとるほど、時間の経つのを速く感じるという。小学生の頃は、日々新しい経験をするので一日一日が長いけど、中高年は想像できる範囲の経験ばかりで一日一日が何の目新しさもなく速く流れていく・・・
しかし、末期癌状態という体験したことのない経験の日々は、明日はどうなるのだろう?もっとひどくなるのだろうか?と予想がつかなくて、一日一日を長く感じるかもしれない・・・

人生の幸せは、より良き豊かな人間関係、愛する人の存在、自分のことを理解してくれる人の存在であろう。しかし、それでも、末期癌の苦痛の何日も何日も続く状態で、人間関係上の幸せが苦痛を上回ってくれるのだろうか?たぶん、上回ってくれるだろう。そう、人間関係さえ充実していて、将来への不安がなければ、人は幸せであろう。何が言いたいかというと、普通に暮らしている状態の時には将来へのやるべきことの山積に不安を感じてしまうだろう。愛すべき家族がいても、その家族を守っていくことへの不安があるはずだ。。。


※ かなり気力が落ち込んで頭が回転せず、全く意味のない内容になってしまってます・・・
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No title

後一ヶ月の命であれば、しなくてよくなることも出てくるでしょう。そうすれば、残された日々で、すべきことを選んで実行に移していけば充実した日になると思います。

人生の幸せは、ある意味で自分が中心でもいいと私は思っています。誰かがいて欲しいと思うのであれば別ですが、自分が幸せと思えば、人がいるかどうかは関係がないでしょうから。

コメントありがとうございます

佐藤さんのコメントに対してのコメント、ちょっと思いつかないので、御礼だけさせていただきます。今後とも宜しくお願いいたします。それから、リンク貼っておきますね。御健勝祈りしております。

No title

自分の人生ですから、これはやるべきとか、やらなければいけないと周りからのプレッシャーがあっても、最終的に決めるのは自分だということです。

私は、自分の幸せも分からない人に、他人を幸せにすることは出来ないと思っています。

コメントありがとうございます

「自分が幸せじゃないと他人を幸せにすることはできない」
世間でよく言われてる言葉ですよね。不幸せそうな人に、救いの手を差し伸べられても、普通の人なら嫌がりますから。
キリスト教的な考えだと不幸せな人でも誰かを幸せにしようとするのはありみたいですね・・・ホームレスのおばさんがなけなしの金をイエスに捧げたのをイエスが大変喜んだように。

No title

自分の幸せを他人に押し付ける人は嫌われます。これはよく分かります。

貧乏であるから不幸せとは限らないでしょう。幸せとは、本当に個人的な尺度で測られるものだと思います。だからといって、この話を使って、貧乏人からお金を巻き上げるのに使うのは、道に外れます。

私は個人的に、人間は幸せのために生きるものではないと思っています。人生を悲観しすぎななければ、物質的にも精神的にも充実してくると思います。といっても、これは私の人生だけにいえることかも知れません。アドバイスになっていませんね。

コメント有難うございます

自分では幸せを感じているちょっと変な人(変人というかキチガイというか・・・)から、救いの汚い手を差し伸べられても、困ってしまいますよね(逃げてしまうかもw)。
やっぱり、不幸な人が助けてもらいたいと思う相手は、ちゃんと幸せを感じているかどうかではなく、自分を助けてくれる能力のある人だと思うんですよね・・・

相手が貧乏で少額であろうとお金をくれるのであればありがたいですよね。というか、その人もそのお金が無くなれば困るのにくれるその気持ちがありがたいですよね・・・
(※宗教の献金やお布施の話は私はしているつもりはないので、ご安心を)

「人間は幸せのために生きるものではないと思っています」とのことですが、幸せとは何を指していらっしゃいますでしょうか?私は充実感が幸せだと思ってます。ですから、充実感をもつために生きるものではないことになると・・・充実感を持たないで生きるのは・・・

No title

充実感で自分の心が満たされると、そこから進歩しなくなるような気がします。「あー、しあわせ」という台詞が出るときは、もうこれ以上のものがないとも言えます。

今は死語かもしれませんが、ハングリー精神みたいなものが人間には必要ではないかと思います。ただ、もっとお金があったらもっと幸せになれると思っている人は、私の考えるハングリー精神とは違うと思いますが。

何らかの達成感のようなものは生きていくうちで必要でしょう。そして自分が好きなものに囲まれる快楽も大切です。頑張るとき、努力するとき、我慢するときがあって、その見返りに充実感が訪れるサイクルがあると、次のステップに移りやすいでしょう。

幸せを目的にしてしまうと、このサイクルが作れない気が私はするので、自分は幸せだけを求めることはしないようにしています。

でも美味しいものを食べるのは好きです。

コメントありがとうございます

私も「人間は(物質的な)幸せのために生きるものではない」と思っています。
でも、さらに「(精神的な幸せである)充実感達成感のために生きるものでもないと考えてしまいます(例えば癌の痛みで毎日苦しい思いをしているような末期癌状態の人のようにどうしても充実感達成感を得られない人は必ずいるからです)。

No title

人生は修行の場とは言っても、むやみに苦しむ必要はないと私も思います。人間の人生は有限です。その中で、十分生きたと思えればいいでしょう。私は、もう少し頑張ろうと思います。

お返事ありがとうございます

宗教をやる人の中には、わざわざ苦行をして苦しみを体に与えるのを目的にしているインドの修行者のような人もいるし、快楽を一切禁じてストイックに生きる人もいるし、、、しかし、私は、苦楽を超越した、もっと違う何かの為に生きるのが人生の目的のような気がします。。。
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うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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