解離するには・・・


解離性障害は人口の1~5%に見られるという報告もある(が、実際にはそれほど多くはないと思われる・・・)。というよりも、病気としてではなく、正常な適応行動として経験している人が多いのかもしれない。。。
例えば火事場の馬鹿力。火事に遭った時に家の中にいる家族を救出しようと暑さや痛みや筋肉疲労などの感覚閾値はぐんと高まり(必死な思い・興奮が感覚神経系のニューロンに抑制的に働き)、無我夢中で救出活動をし、後日振り返っても思い出せなかったりする・・・(そういう意味では、興奮が、記銘に関与する海馬のニューロンに抑制的に働いているのかもしれない・・・)しかし、いづれにしろ、人格が変わったかのように、いつもの自分ではない別の自分によって興奮・必死になって行動している・・・


どうすれば解離できるのか?

別の主体性を持った人格部分を心に宿らせられるのか?


イマジナリー・コンパニオンを持てばいい・・・ある人は、それがイエスだったり、聖霊だったり、亡くなった家族だったりする。父のような存在や神というものを自分の心の中に常に感じながら行動すればいいのかもしれない・・・

ただし、それだけでは不十分だ。

その、自分の中に感じる別の存在を自分自身であると自覚しなければいけない・・・
というと、
どういうことかというと、
その別人格に自分の行動を委ねる。自分自身はいったん何も悩まず何も考えずただボーッとし、その間、自分の身体の行動を別人格に任せるのだ。

う~ん、実現可能性は・・・


まぁ、もし実現できたら、記憶は何とかつなぎ合わせられるようにしながら、多人格の言動の調和を図るとか・・・
スポンサーサイト
line
line

comment

管理者にだけ表示を許可する

No title

たまたま前の投稿をクリックしたら、これが開きました。

私のブログにも書きましたが、別人格に行動を委ねる、私はそれに近いことを実践しています。

ただ、本当の多重人格の場合、複数の人間が同時に表面化することはないようですね。つまりお互いが知らないでの、交換日記のようなものをつけてコミュニケーションをとるということを聞いたことがあります。

解離は難しい・・・

解離と言っても、いろんなタイプがあると思います。
佐藤さんがおっしゃるような人格交代時には、主人格は副人格の言動をまったく認識できておらず記憶が欠損している、かなり病的な場合もあると思いますし、副人格の言動を主人格が静観しながら副人格に委ねているような正常範囲の場合もあるだろうし・・・・

No title

多重人格が存在する前に、人格自体が、一体何なのかという疑問が第一に湧いてきます。性格とか気性とかが、どうしてあるのかです。

私のブログにも書きましたが、私は以前、話す言語が変わると人格が変わるのを経験しましたが、今は落ち着いています。

人格同士の間を自発的に移動できることで私は言語に関する考察を始めたのかも知れません。

人格が何故あるか?

佐藤さんは人格イコール性格・気性ととらえてらっしゃるのかもしれませんが(そうじゃないかもしれませんが)、私が解離・多重人格のところで考えている人格というのは、意識のことです。
人格が変わるというときに、単に性格が変わるというのは、ここでは考えてません(お酒を飲めば図々しい性格になるように)。
外国語を話すときに陽気な性格になるのも、その国の一般的な国民的性格になりきって話そうとするからなんじゃないかなあ・・・

べつにこれに対して、レスは要りませんよ。佐藤さんのおっしゃりたいこともわかります。今後の考察、佐藤さんのブログで楽しみにしてます!

No title

一応レスしておきます。

おっしゃるとおり意識です。記憶の継続性がある場合は、多少の解離があっても、日常生活に問題はないでしょうが、意識が分離して、別々に記憶されるようになると、問題が起きます。

ただ、今意識というものが何か、定義を考えているところで、そこには、気性や性格みたいなものも関ってくると考えています。人間の意識は、やはり相当複雑だと思います。

ブログを読んでいただければ、幸いです。まだまだ、時間が必要ですが。
line
line

FC2Ad

line
プロフィール

うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

line
最新記事
line
最新コメント
line
最新トラックバック
line
月別アーカイブ
line
カテゴリ
line
検索フォーム
line
RSSリンクの表示
line
リンク
line
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

line
QRコード
QR
line
sub_line