言語なしで思考はできるかという問題

言語なしで思考はできるかという問題がある。
思考というものの定義が問題でもあるが、ここでは抽象的・形而上的・哲学的・高度な思考と定義しておこう。
例えば、「自分という存在は本当に存在するのか?」とか「人生の意味はあるのか?」とか「何故何もないのではなく何かがあるのか?」とか、こういう問いを考えた時に、言語なしでイメージだけで考えられるかどうか?

幼い子は4歳ぐらいからひらがなを書けるようになり始める。文字を書くというのは、かなり高度な作業だ。まず、後頭葉にイメージしたひらがなの形を側頭葉で想起する。そして、実際に書き始める前に、文字の形・配置・バランスを頭頂葉でイメージする。そして前頭葉で実際に指を繊細に動かす。
この脳全体を使って文字を書くことのダイナミックスさは、他の人間のあらゆる行動の中でも、もっとも高度な作業であることは間違いない。
会話ならば、視覚は直接には必要ない。もちろん、高度な内容の会話の場合は、頭頂葉や後頭葉もフル活動するが、基本的には感覚性言語野と運動性言語野だけで済むことが多い。
脳の活動する部位が少なければ少ないほど、反射的な単純な脳活動となって、あまり高次の脳機能の賦活化は必要ないわけで、何が言いたいかというと、文字の発明以前の古代の人たちは、ぼうっとしていたのではないかということだ。本能だけで生きて、反射的に生活していてもそれで済んでいたのだ。
文字の発明をしても、初めは大人が事務的・作業的・官僚的に文字を書き記す仕事を淡々とこなしていくだけだったが、幼い子供にも文字を教える習慣が広まると、4歳ぐらいの幼い子どもの発達途中の脳に劇的な変化が起きてくるんじゃないかと思われる。
それはつまり、抽象的な思考のことだ。


親はなくとも子は育つというけれど、子どもの成長は親にとってはいつも心配であり、何が起こるかわからないのが育児だろう・・・
そして、起こってほしくない出来事(インフルエンザにかかって脳症で死んだり、植物状態になったり)だけではなく、良き素晴らしき事も起こり得るというのが子供の良いところだ。子供には可能性がある。子供にとって明日は、ただの別の日ではなく、輝かしい未来の一日になり得るのだ。

もちろん、心配なこともあるけれど・・・

(意味不明な内容ですみません・・・)
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No title

何を馬鹿な事をいっておられるのか?
現代人で無職の貴方の方が、心も体も
よほど「ぼうっとして」おられるのではないだろうか?

コトバもなかったなりたても古代人類は
まだ「狩られる」側のひ弱な存在で、眠るのにもびくびくしながら
緊張して生きていたに違いなく

その弱さこそが、脳を巨大化させ、言葉を生み出し
文字を発達させてきた、大きな原動力だったはずですよね。

そして、言語や文字の基本は「視覚情報の抽象化」であり
無真理「目で見たもの」を「山」とか「川」とかに
置き換えて表した事で、視覚がなければ
コミュニケーションできない事は、自明の理。

まぁ、こうした、言葉遊びのための言葉遊びや
答えがない事が解かっている問いかけなど
「思考の無駄遣い」をやる暇があれば、何か仕事された方が、
(お金を稼ぐ手段かどうかは別にして)
少なくとも誰かの役には立つように思います。

僕は、喉頭がんで声帯を摘出して、その後、訓練によって
言語機能を回復しておりますが
人類だけが、なぜ「コトバがしゃべれるのか?」調べてみられたら、
コミュニケーションとは何か?について、
何もわかっておられないことに気が付かれるように思います。

今回もまた、お気を悪くされたらゴメンナサイ。
貴方様のブログですから
言い訳されるのでしたら、どうぞご自由に。
ご無礼を承知で、失礼いたしました。

癌ダム4Gさんへ

ありがとうございます。

どんどん、コメント書いてください!

>なぜ「コトバがしゃべれるのか?」調べてみられたら、
コミュニケーションとは何か?について、 何もわかっておられないことに気が付かれるように思います。


コミュニケーションとは何なのでしょうか?いや、別に、大変でしょうから御返事いいですけど。
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Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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