人生において、何をすべきかどうかは知らなくていいのだろう・・・

知情意

知性
意志
感情

「知性」何が善で何が悪か、何をすべきかを知っている
「意志」すべきことをしている
「感情」幸せだと感じている


①やるべきことを知っていて、そのやるべきことを為していても、結果的には苦しい生活で苦しいと感じているか(いや、やるべきことをやっているから満足して幸せを感じているかもしれないけど、それでも、拷問のごとく毎日しんどい日々だとやがて心も疲れと苦しみを感じるであろう・・・)

②やるべきを知らず、もちろん、やるべきことをできておらず、しかし、幸運な日々に楽しさ幸福感を感じている


①か②かどっちかを選べと言われたら、普通の人なら②を選ぶだろう・・・

幼児が親に虐待されている時、苦しくても虐待され続けてもそれでも親を愛し親を信頼し親に服従
するだろう・・・そして結局食物も与えられずneglect衰弱死してしまったりもする・・・
そんな幼児は死後、天国で幸せに過ごすのかもしれないが。

天国で幸せになることに意味があるのだろうか?この世で不幸であの世で幸せになる意味は何なのか?何故この世での苦しみが必要なのだろう・・・

この世でさんざん苦しみ続ければ、やがて心折れ、志しも尽き、ぼろぼろになって自暴自棄になって自死するかもしれない・・・


何が正しくて何が間違いなのか、そんなことを知るのが人生の目的じゃない気がする。。。
アダムとイブが神から善悪を知る木の実を食べる、食べれば死ぬから、と言われたのは、何が正しくて何が罪なのか知ってしまったら、自分たち人間の行いの多くが罪にまみれていることに絶望して魂が死に至ってしまうほど危険だからということだったのかもしれない。

人生において、何をすべきかどうかは知らなくていいのだろう・・・

では何が大切か?

何をしたか、しなかったかが大切なのか?

何をすべきかわからないなら、何をすればいいかわからないまま行動するしかない。・・・だから何をしても許される、というか、運次第だ・・・。しかし、神の命令には反論をしてはいけないのだと思う。
そもそも、人間に行動の選択なんかできるのだろうか?自由意志があるのだろうか・・・

もしかしたら、行動はできず、ただ感じるだけなのかもしれない。

だとしたら、思考や知性など自分の思いを消し去り、全く左右されずに、ただひたすら現状を、感じることを、そのまま受け入れ、肯定するしかないのかもしれない。

神がアダムに問い詰めたときに、ただ「御意」と肯定するのが良かったのだろう・・・


家族から理不尽にことをされようと、自分の考えは言わずに黙って、見守るしかなかったのかもしれない・・・
すべてを受け入れ、ただ言われたことを(やるかどうかは別として)「はい」と答えるしかなかったのかもしれない・・・


つらい、苦しい・・・


※意味不明な文章で申し訳ありません・・・
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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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