世界を見る

昔、小学生4年生の頃、クラスの風景がとても幸せに見えた。

担任の教師が、厳しくも、ユーモアがわかり、だから、僕ら生徒たちも、ふざけつつも、それなりの節度を持って、そして、教師の足蹴りを罰ゲームのように笑って受け入れられていた。

とにかく、僕は傍観者のように、クラスの皆がまとまっている様子、教師との良い関係、イジメも何もない平和を、本当に満足そうに眺めていた。



何が言いたいかというと、小さい頃の僕は、まるで神のような視点で平和さを喜んでいたのだ。

そう、神とは、こういうふうに、世界を眺めているのかもしれない・・・・

(別に自分のことを偉そうに言ってるつもりはないです・・・)


本当に、神を愛し求め、神を好きならば、自分が見る風景は神の好きな穏やかな平穏な風景になるのではないかと思う・・・そして、その風景に、自分はいない。自分はあくまでも傍観者のような、悪く言えば、蚊帳の外のような、あるいは傲慢に言えば、高見の見物、そんな立ち位置。

とにかく、自分のことは全く抜きにして、他者を見ること、他者の平和を喜ぶこと、これが、神の望むことではないだろうか?

2015年3月9日のブログにあるように、自己中心的な気持ちは、人間の罪であり、神の望んでいることではない・・・


①自分のことは全く抜きにする


2015年2月21日のブログでは、僕のことは抜きにしても、人類全体の願いである「何のために生きるのか」に対する答えを求めようとする願いが出てきたが、そんな願いは神は相手にしない。神はネガティブなことを喜ばない。


②ネガティブなことは考えないこと


前回のブログでは、困っている人を助けたいという願いがかなわないことを述べたが、そんな願いは神にとって見当違い、的外れなことだ。今の現状は神にとってネガティブでも何でもなく、すでに満たされた平和であるのだろう。というか、今の状態をよくよく見れば、幸せが充足しているのだろう。


③今の現状を喜び感謝すること


他者の、世界を、不満や不平感で見ないで、充実していると感謝し、よくよく幸せを見出して、その平穏さを満足げに眺めることが大事なのだろう・・・・


④不平不満を抱かず、世界の平穏さを良しとする。


最後に、こんな世界を創った神をリスペクトし、愛をもって求めることであろう。


⑤神を愛し、神に甘え、頼り、願い求める



以上、もう一度まとめると

①自分のことは全く抜きにする
②ネガティブなことは考えないこと
③今の現状を喜び感謝すること
④不平不満を抱かず、世界の平穏さを良しとする。
⑤神を愛し、神に甘え、頼り、願い求める


こんな感じで日々送れたらと思う・・・
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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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