観測者としての神

何かを観察するとき、対象となる世界に、観察者は全く純粋な観察者としては存在しない。
観察者もその観察対象の世界の中に多かれ少なかれ影響を当てているということだ。

これは、精神科の集団精神療法での場面や、あるいは、量子力学などでも、言われていることだ。

何が言いたいかというと透明人間のように他者に気づかれないようにただただ観察するということはやろうとしても絶対不可能なのだ。

もちろん、観察者が観測対象に与える影響の程度はまちまちだ。ほとんどゼロに近い場合も多いだろう。

例えば、Webcameraを通してネットで秋葉原の交差点の様子をリアルタイムで観察していて、それが秋葉原に影響を与える度合いはほとんどゼロに近いだろう。

そういう便利な機械があれば別だが、普通は、何かを観察しようつすると、対象者にも影響を与えるものだ。


前置きはこれくらいにして、本題に入る。


神は、この世界に介入しない。介入すると、世界が神を意識して変わってしまうから。神の存在がわからない状態で人間が良心に従ってどう行動するかを観察しているのかもしれない。
神は、そういう意味で、観測者でありながら、その対象に影響を与えないでいられるのだ。

旧訳の時代やイエスの頃は神もこの世界に介入したが、今の時代は神は全くの無介入なのだろうか?

よく、祈りが通じた、という人がいるが、神に祈った願いが叶った場合、それが本当に神のおかげなのかどうか・・・

神に祈った願いが叶うというのは意味があるのだろうか?
神は、何を望んでいるのだろうか?
神はあくまで黙ってこの世界を観察しているだけなのではないだろうか?
しかし、観察しているだけで、神は面白いのだろうか?

神は何を喜ばれるのか?
人間の自由意志での良心に沿った行動か?
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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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