つづき


愛がわからないという人をブログにしたが、
こういう人は、愛というものが、人間のただの生理現象・本能・感情に過ぎないと理解している知的レベルの高い人であるというだけなのでしょう。。。

特に男性はロマンティックな人が多く、逆に女性は現実的な人が多く、夫婦の間で、相手に対し、夫は愛を持っていても、妻は愛を持っていないことが多い。

愛がわからない人は、女性的な現実的な考え方を持っているのであろう…

哲学とかイデオロギーとか宗教とか、そういうのは男性が強く主張することが多いと思う。
それに対して、雰囲気とか、他人との触れ合いとか、そういう人間関係のより良い構築を目指す集まりへの参加は女性が多いと思う。

ここで、男女差別的な考えを言いたいわけではないことはあらかじめお断りしておきたい。

そうではなく、男女によって傾向の違いがあることを示しつつ、人間のそういう多様性を示したいだけだ。

つまり、愛が意味ないと思う人もいるし、大いなる意味があると思う人もいるわけだ。

ここで、愛の定義をちょっと考えてみる。
自分を犠牲にしても他人のためになることをするのを厭わないこと、これが愛だと定義してみる。自分を犠牲にするということは、自分にとって損になってもいいことだ。ただ、何が損かは、当人次第だから、本人が身体が疲れても全然苦痛に感じず、しかし、家族の幸せが自分にとっても幸せに感じるなら、家族が不幸せになることには断然応じることはできないわけで・・・つまり、具体的な例を挙げるなら、自分の子がチョコレートをねだっているとき、親である自分の希望としてはチョコレートで甘い物に依存してしまうようなことになってもらいたくないけれど、そういう自分の希望を犠牲にして、子供にチョコを買い与えていくことは愛なのであろうか?(いや、たんなる、甘やかしであろう・・・)

結局、愛が定義できなくなる・・・
愛とは何なのか?
錯覚か?

愛がわからない人もイエスに出会ったら、愛についてわかるようになるのかもしれない・・・

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No title

恋愛を含めた愛はかなり幅のある概念だと思います。単に恋愛感情のような「好きだ」という些細なことから、親の子どもへの自己犠牲や死を賭した自己犠牲(自爆テロ?)のような危険な域まであると思います。

僕は損得勘定ではない自己犠牲は愛だと思いますね。あと、チョコレートの例は自己犠牲とは関係ないと思います。それは食べ物を選択する能力がまだ育っていない子どもへのアシストでしょう。

なぁさんへ

定義って難しいですね。

「AとはBであり、かつ、Cである」といった感じで定義をしようとして、「ただし、~~~」なんて例外をもうけると、途端にその定義が怪しく見えてしまいます・・・

そもそも、よく哲学で「実存」とか「現存在」とか言葉が出てきても、実は、哲学者たちの間で、それらの言葉の定義が違っていることは往々にしてあるし、本当に、何かをきちっと理解しようとするのは至難の業です。愛とは何なのかな・・・
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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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