所有欲


学生時代の私はいつか結婚して子供をもうけ貧しくとも家族みんなで頑張って生きていくような、絆の強い家庭を持ちたいと夢見ていた。

昔、福山雅治、江口洋介、酒井法子などが出演してたドラマ「一つ屋根の下」のような家庭に憧れてました。


実際にはそんな夢は実現していないわけだ・・・
親との関係は良くなってきた。親も年取って丸くなってきたというか、私の考えを聞いてくれるようになってきた。
しかし、親に対して一生懸命尽くそうとまでは思えない。。。介護が必要になったら仕方ない、してあげるか、という程度だ・・・
私が思い描いていた家族とは、結局、自己の所有としての家族なのかもしれない。自分の子供、パートナーを欲しかっただけかもしれない。自分の親はどうしても自分より上の立場になってしまうわけで、自分の所有というか対等な立場に決してなれないから。。。


人は物だけでなく、他人をも所有したがるものだ。
他人を自分の付属品や手足のようにしたいと思うのかもしれない。

イエスがマルタをさとしたように、マリアのイエスを心から慕う気持ちをまずは第一に大切にしなければいけない。マルタを家事を手伝わせるために、自分の手足として働いてもらおうと欲するのは良くないとイエスは言ったのかもしれない。イエスですら、マリアに家事を手伝うように指示はできなかったであろう。イエスは、基本、主としてではなく、使われるしもべとしてこの世に現れたのだから、人々に講話はしても、指図はしていないはずだ。もちろん、礼拝所そばの両替屋を汚らわしいと蹴散らしたりはしただろうが・・・

7の7の7倍、人を許しなさいとか、アドバイスはしても、そういうのはすべて指示ではない。指導というか助言だ・・・

神にとっても、人というのは神の所有物ではないのであろう。人を一人の人格を持った存在として尊重し、その人の言動を自由意志に任せているのであろう・・・

さらには、イエスは財産を持つ者は天国に入れないと言っているように、人だけじゃなく物に対しても所有欲を持たないほうがいいと言っているのだと思う。

言い方を間違えた。

物に対しての所有欲だけでなく、人に対しても自分の思い通りにしたという一種の所有欲は持たないほうがいいのだと思う。

傷ついた人を助けた良きサマリヤ人も、相手が全然感謝してくれなくてもきっと不満はなかったことだろう。相手に対して自分の行いを感謝するように期待するのは、所有欲なのだと思う。

また、マルタのように、イエスに感謝してもらおうと給仕に一生懸命なのは、イエスを自分の思い通りに当然感謝するように仕向けようとする所有欲の一種なのだろう・・・

人にも物にもそして神にも自分の所有物のように期待するのは間違っているのだと思う。

人が自分の思い通りに行動してくれなくても、物や状況が自分の予想通りになってくれなくても、神が自分の願いをかなえてくれなくても、そんなことはどうでもよいのであって、大事なのは、人や神に対して逆に所有物になることなのかもしれない。。。いや、一人間の奴隷にはなってはいけないであろう。神だけの奴隷になればいいのかも・・・





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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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