許しを請う、振り返る、何をすべき・・・(思いつくまま徒然に・・・)


謝る
謝罪する
許しを請う

これらは正確にはどういう言動・思いのことなのか?

自分が誰かに悪いことをした時
その相手に対して損害を与えてしまったことを、相手に対して申し訳なく思う、傷ついた相手の悲しみに対して同情する、相手の苦しみをできることなら自分が身代わりになって引き受けたいと思うことか?

それとも、

ただ、ただ、悪いことをしてしまった自分自身への後悔か?自分自身へ情けなく思うことか?

たとえば、

小学生の息子に厳しくしつけるため体罰をしてしまったとき、親は子供の成長を願ってやっていても、子どもは過度に厳しい躾け(言ってみれば虐待)でひどく心が屈折してしまうほどの傷跡を残してしまうかもしれない。
子どもが成人してもその歪んだ心の影響で引きこもり、NEETもしくはSNEPになって、親も自分の教育方針が間違っていたんだと悟る・・・
親は子供に対して申し訳なく思うが、それは、どういう気持ちか?

もちろん、親は自分自身を責めるが、それよりも、子どもを何とか立ち直らせたいという、そういう相手本位の謝罪だろう。

あるいは、別なケースとして、親が子供を甘やかして育てて、子どもは成人した時には犯罪者となって刑務所に入れられてしまったというようなケース。子も服役という苦しみを受け、親も自分の躾が悪かったのを反省しつつ、可能なら服役を代わってあげたいと願う・・・

あるいは、ちょっと別なケースでは、親が子供を甘やかして育て、子どもは成人した時、極悪人でありながら社会にのさばり享楽的な生活を送っているとしたら?子供本人は何も困っていないが(心の奥底では空虚感や焦燥感などがあるかもしれないが)、親から見れば明らかに非常に悲しいことであり、自分の躾が悪かったんだと反省しつつ、できるなら、子どもが更正することを願う・・・


いずれにしろ、親が子どもを育てていく中で、熱心であったにせよ、あるいは、仕事を優先させて子育てや教育・躾をおろそかにしたにせよ、子どもが成長し、立派な社会人となれば、親は、後悔や謝罪の気持ちなど持つわけがないが、子どもが不幸なあるいは反社会的な社会人になってしまったら、親は子どもに対する躾や教育を反省・後悔するだろう。例え、自分なりの信念や熱意で一生懸命育児していたとしてもだ!

もし、自分が「このやり方で正しいんだ!」と育児の方法に強い信念を持っていて、結果的に子供が幸せにならなくても、反省も後悔もしない親だったら・・・そんな親は非常に罪深いだろう・・・



聖書の中では、アダムとイブが善悪を知る木の実を食べたことが原罪だと言われており、そういった類の原罪を人類は皆もっており、人はそういう自己中心的な想いを悔い改める、神に許しを請うのが一番重要だと説明しているが、上記の親の育児に対する考察と併せて考えてみると、

まず、アダムらが行った罪は、神に対しては何の実害も与えていないだろう(おそらく裏切られた悔しみという精神的なダメージすら神にはなかっただろう・・・)。しかし、アダムらは神に対して許しを請わなければならなかった。相手に損害を与えていなくても、自分の行ったことが正しくなかった事実に後悔しなければならないのだろう。

先にあげた親と子供の話に戻って考えてみると、子供が悪人になって刑務所行きになろうとあるいは捕まらずに豪遊快楽な人生を送ろうと、親が子供に対して申し訳なく思う必要があるわけだ。

ここで、一番の罪は、自分のやっていること、やってきたことは、正しいと思っ
てやってきたことなのだから後悔はないと考えることだろう。あの時あの状況ではできる限りのことを自分はしたんだと自分を無理矢理納得させてしまって、独断的に、頑固に、自分の正しさを主張すること、それが原罪よりももっと罪深い罪になるのかもしれない。
そう、サタン・ルシファーのような独善的な考えが一番いけないのだろう。


くわえて、人生万事塞翁が馬であり、一寸先は闇であり、自分の言動が良い結果のまま続く保証はない。だから、今、悪い状況であろうとなかろうと、自分の行っていること、行おうとしていることが、悪い方向へ向かっていないかどうかいつも謙虚に省みた方がいいのだろう。。。


悪い事は何となくわかるけど、何が良い事なのかははっきりはわからない。自分では良いと思ってやっていることも本当は悪い事なのかもしれないから。
一体、何をすればいいのか、確信を持てないまま生きていき、いつも自信なく虚しく歩いていく・・・そんな自分にまったき善の神がそばにいて導き歩ませてくれていることを実感できながら生きていければどんなに安心だろう・・・

エデンの園でアダムは神に守られながら生きていた。そこには安心感が満ちあふれていたはずだ。まるで母の胎内にいる胎児のように。

神の言うことに従い、神の言いつけに従い、毎日毎日すくすく成長し生きていく。奴隷のように服従していると言うべきか、あるいは絶対信頼している親へ従順に従う子供のようと言うべきか・・・・幼な子は別にいやいや親に従っているわけではない。安心感と信頼で従っている・・・
例え、親から虐待を受けても、自分の為に親がしてくれているのだと信じて。いつかきっと理由がわかると。今は辛くても最後には笑えると信じて。


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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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