おっぱいを求める乳児のように・・・

https://fapps.co/appsp/answer_result/913

『フリードリヒ2世は、この実験の為に部下に50人もの赤ちゃんを集めさせたと言われています。 赤ちゃんを部屋に隔離してそこで面倒をみるのですが、その際、目を見てはいけない、笑いかけてもいけない、語りかけてもいけない、ふれあいを一切してはいけないと命じたのです。
赤ちゃんたちは、十分なミルクを与えられていましたが、全員亡くなってしまったそうです。』

http://charm.at.webry.info/200702/article_7.html

『小児科医で発達心理学の分野にも強い興味を持っていたルネ・スピッツは、孤児院や児童福祉施設の乳幼児の行動を観察して、養護施設の子供達に起こりやすいホスピタリズム(施設症候群)の研究を進め、母性剥奪(mother deprivation)の影響を検証しました。その結果、発達早期に母親(特定的な養育者)から引き離される母性剥奪が「5ヶ月以上」の長期にわたって起こると、身体疾患や精神疾患の発症リスクが上がり、身体の発育や知能の発達、性格の形成にも好ましくない影響があることが分かりました。』


上記のように、乳児にとって、母乳だけでなく、母の存在が非常に重要なことがわかる。

これは、人の幸福についても考えさせられる。

人は、財産や地位や名誉など現実的な豊かさだけでは人生に虚しさを感じ、生きがいを失い、生きることに意味を見いだせず、希望を持てない人生になってしまうことが少なくない。

受験戦争に勝ち良い大学に入れても、入学後にダメになってしまう若者。
テニスのウィンブルドンで勝ち有名になってもやがてバーンアウトしてしまうプロテニスプレイヤー。
成りあがって資産を築いた実業家。
結婚してもやがて離婚してしまう夫婦。
ギャンブルで勝っても、さらにギャンブルにのめり込み破産してしまう人。




この世でいくら成功しても、その成功だけでは人は空虚感を感じてしまう。
これは仏教でいうところの欲に限りがないから、というわけではない!

原因は一つ。

神をそばに感じていないからだ。

この世での成功(も失敗も)神からの恵みと思って、成功を糧にしつつも、神を感じることが第一目的であるならば、人は空虚感を感じるまでもなく、神に語りかける。また、おなかがすいたら糧をちょうだい!と。まるで乳児のように。

乳児はミルクだけが欲しいんじゃない。母親のぬくもり、温かさ、安心感を求めているのだ。母親がいつもそばにいてくれていることを確かめたいし、そばにいて守ってくれていることを当然のごとく感じている。

人は、神を常に求めて、神に糧を求めて、生きていくのが、一番自然だと思う。

「求めよ、さらば与えられん」

神にはもっと求めていい。困った時、欲しい時、神からの恵みを求めるのだ。もちろん、なかなか与えられないときもあるだろう。だけど、諦めめを知らない子どものように、いつまでも求め続ける必要がある。

そして、乳児はおっぱいをもらえても、決して自分が一生懸命泣いたからおっぱいをゲットできたんだとは思わない。自分の努力のおかげだなんて思わない。ただ、求め、そして、母親が与えてくれるということを、当然の一連の流れとして受け止めているのだ。

この世的な成功を求めていい。そして、それが見事うまく成功を得ても、けっして自分のやり方が良かったとか、思わない。

そして、得られた成功をもって、神がそばにいてくれていることを再確認する。安心と希望をもって生きていきたい・・・
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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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