『A Christian Rebuttal to Dr. Eben Alexander's Proof of Heaven, A Neurosurgeon's Journey into the Afterlife』を読んで

A Christian Rebuttal to Dr. Eben Alexander's Proof of Heaven, A Neurosurgeon's Journey into the AfterlifeA Christian Rebuttal to Dr. Eben Alexander's Proof of Heaven, A Neurosurgeon's Journey into the Afterlife
(2012/10/27)
Robert Alan King

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一部抜粋

「エバン・アレキサンダー氏が旅してきたと思っている天国という場所は本物だと彼は宣言しているが、その天国だと思っている場所が神学的には間違った考えに基づいていることをまず指摘したい。いかなる神秘体験も啓示も預言も、神からのものだと強く主張されているという理由だけでそれが本物であると早合点せず、聖書の神の言葉に照らして吟味されなければいけない。私たちは言われたことが真実かどうかを知るため、聖書を丹念に調べなければならない。さらに、天からの天使だろうといかなる存在であろうと、聖書と反対のことを教えてくるなら、私たちはそれを受け入れるべきではない。」

「天国や地獄に行ってきたと主張する人たちの物語を私はいろいろ読んできたが、そのほとんどは、単に夢を見ていただけのものであった。もしくは、誇張や偽造や妄想であった。アレキサンダー氏は漆黒の闇でありながら光の満ち溢れた広大な虚空のコアに何度も入って、神の住まいであるその場所で、神の中にいるような感じで、神と対話したと主張している。アレキサンダー氏はこれをさらに大胆に解釈してしまい、自分は高次元の永遠の宇宙の全て、そして神と、これ以上はないというほどの一体化を体験したと主張している。この間違った主張にはたくさんの問題点がある。イエスはとくに、父なる神は誰も見ることができないと教えている。」
「「Om」というのは、神秘主義のサンスクリット語の音(発音)もしくはヒンズー教由来の振き(振動)であり、それは仏教やヒンズー教やジャイナ教などの「ダルマ(法)」を中心とした宗教において、神の名を表す「マントラ(真言:神秘的な威力を持つ呪文)」になっていった言葉である。ヒンズー教によれば、この世界が創造された時、まず初めに、神聖な意識が最初の振動として「Om」という音の形をとったらしい。「Om」というのが東洋の宗教の中で信仰上重要なものであり、アレキサンダー氏の表現する神はヒンズー教の他の要素を持っている。これは、聖書に反する間違った教えを説く流派でよく見られるニューエイジ(注:アメリカで1970年代頃から盛んになったスピリチュアルやオカルトや東洋的思想や薬物使用やポジティブシンキングなど肯定的な主義を旨とする運動。自己実現を目標に寛容に何事も受け入れる精神であるが、その一方で享楽的で退廃的な危険性もあり得るもので、カルト宗教もこの流れで生まれている)的なメッセージと全く同じことを言っている。」

「いつもいつまでも愛され大事にされている、というアレキサンダー氏の主張しているメッセージ。このメッセージを受けた時、アレキサンダー氏は、イエスキリストが自分の主であり自分の救い主であるということを信じるクリスチャンではないということをよく心に留めておいてほしい。彼は自分が無神論者であることをはっきりと認めている[24]。しかし、このメッセージは彼がいつも大事に愛されていると彼に教えている。しかし、このメッセージは、クリスチャンの信仰が的外れで意味がなくクリスチャンじゃなくても誰でも愛されているということを意味している。アレキサンダー氏は神が無条件に誰でもいつでも愛していると強調している。しかし、聖書はそうではないと言っている。自分の罪を認めて、それをイエスキリストが贖ってくれたことを信じる者のみが神に愛されるのだ。」

「あなたがすることに間違いはない、という文。これは、罪の概念を根底から崩壊させてしまっている。これは、罪というものが実際には存在せず、罪と呼んでいるものが単なる過失に過ぎないことだと教えているニューエイジの主張と同じものである。これは、私たちが来たるべき審判の日にこの世で犯した自らの罪の報告をすることになるという神の宣言を無視してしまっている。この教えでは、殺人も強姦も暴行も拷問も罪ではなく、ただの過失になってしまう。」

「あなたは何も恐れることはない、という文。このメッセージも聖書に反している。聖書には、自分の罪を許してもらえるのにイエスを信じるのを拒む者には、その罪を責められ投げ入れられるべく火の海や暗黒が用意されていると書かれてある。聖書は、主を恐れることは全ての人にとって知識の初めであると教えている(箴言第1章7節、9章10節)。イエスを通して救われて初めて、私たちは赦され、我々の罪を裁く神の審判への恐れをその完全な愛が取り除くのである。」

「アレキサンダー氏はこのメッセージの意味を、愛は唯一重要なことで、一言で言えば私たちは皆愛されているというふうに理解してしまっている。彼は、このメッセージを彼が今まで経験した、もしくは他の人に教えられた価値観の中で最も意義のある重要な発見として理解してしまっている。この三つの文章のメッセージは、しばしば聖書の教えに反しながら神の啓示と間違ってしまうようなものから生じて、ニューエイジ運動や他の間違った教えに見られる悪魔の嘘の中核を成している。これは根本的に間違っている教えである。」

「もし、本当に神や天国や霊的真理をもっと知りたかったら、私たちは聖書の中に答えを見出せるはずであり、その聖書の真理だけで十分である。つまり、さらなる啓示は必要ないし、神がすでに与えてくれている物以上を期待するのは、神が私たちに与えてくれているものが不十分だと訴えているようなものである。」

「アレキサンダー氏の本の中で唯一キリスト教的な要素がある。それはアレキサンダー氏の為に多くの人たちが祈ったことだ。彼の奇跡的な回復はおそらくきっと祈りのおかげであろう。彼は生還して、不幸にも聖書の神とは違う別の神を信仰している。彼は罪の事実やイエスキリストを通して救いがなされることを理解していない。彼はもともと無神論だったのが、偽の預言者となってしまった。
彼の本を読んだクリスチャンたちに強く望むことは、アレキサンダー氏の為に祈ることだ。彼が本物のイエスキリストを見つけること、聖書に述べられているような真理に根付くようになること、他の人たちに間違った教えを広めるのをやめることなどを祈ることだ。他の人たちは本物の神を知ることから離れて迷ってしまうから。」


といったようなことを言っているが、要するに、アレキサンダー氏は悪意がなくても結果的にサタンの欺きにひっかかって世の中に間違ったことを教え広めようとしていると、キング氏は主張している。残念なことに、キング氏のこの本の中ではサタンが何故そのようなことをする必要があるのかとか、サタンの真意とか、そこらへんの僕の知りたかったことは、あまり書かれていなかった。きっと、知る必要はないのだろう・・・
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人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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