ノア 約束の舟

先日レンタルビデオ屋で映画を借りて見たので、今日はそれの感想。
なので、何の意味もない記事だ(読み飛ばしてもらった方が時間の節約だろう・・・)


『ノア 約束の舟』
を見た。

旧約聖書の頃の世界が映像化されていてわかりやすかった。何しろ、旧約聖書の時代は、人の寿命が数百年だったり、天使か悪魔かわからないが巨人がいたりと、聖書を読んだだけじゃイメージしにくい世界だから・・・


さて、この映画自体は、神の偉大さや、愛の大切さや、人生の意味などについては、全く何も得ることがない駄作と言ってもいいかもしれない。映像化したということにだけ価値がある作品だろう。

しかし、本筋とは関係ないことで、私はある思いを馳せていた。


天使が死ぬときに「神よ、許したまえ」と言って、その身体から解放され天に召されるシーンだ・・・
今までの苦しい人生からやっと解放され、やっと楽になれる、何とも言えない感覚だ・・・

達成感でもないし、報われたわけでもないし、虚脱感でもないし、切ないわけでもないし、もちろん、希望を抱かせるものでもない。

ただ、ただ、重い苦役からやっと解放される(そして、無に帰るかもしれない)、とにかく、解放感だ・・・


例えば、誰かに苦しみを与えてしまっとき、長年、その人から恨まれることだろう。その恨みつらみを自分が長年受け続けていると、本当に心が衰弱してしまう。何とか許してほしいと願っても、相手は赦してはくれない。そんな日々が何十年も続いて、ある時、やっと
相手が許してくれたとき、嬉しいと思うよりも、ほっとするであろう。ほっと安堵しつつも、しかし、かといって、相手が許しはしてくれたものの、やはり相手に心の傷がいつまでも後遺しているならば、何も解決はしてないわけで、明るい光が見えているとはとても言えない・・・


というのは前置きで、本題はこれからだ。

長い苦しみに満ちた浮上なり人生からやっと解放されて死ぬとき、人はどう思うだろう?というか、死とは、死んだとき自分で確認できるものじゃないけど、死の直前にエンドルフィンか何かで病いによる痛み苦しみが無くなって人は「ああ、やっと死ねる」と思って、コロッと息絶えるのだろうか?

死の間際になって見ないとわからないが、末期癌の臨終でも最後の瞬間まで、「死ぬのが怖い、死にたくない、生きていたい」と欲する人は少なくないだろうから、もしかしたら、普段から死を望んでいるような私みたいな人間でも、もうあと数時間、数分の寿命というような時に、いよいよこれから死が訪れ、自分が永遠の無に帰するんだということを強く実感しようとしていると、恐怖心が芽生えるのだろうか?
いや、それはないだろう?

それよりも、苦しい人生からやっと解放されることが目前に悟り、やっと楽になれるという思いの他に、だからなんだというのだろうか?という虚しさも感じるだろう。
自分の人生一体何だったんだろう?何の意味もなく、報われることなく、最期を迎え、無に帰する。この理不尽さは一体誰に文句を言えばいいのか?不満をぶつける相手もいない。このやるせない気持ち、今までのつらかった思い出を、誰にも知られず、無意味に人生を閉じていく・・・
もちろん、そんな感傷的な不平よりも、とにかくやっと解放されることに安堵する気持ちの方が強いであろう・・・


死後に文句を言う相手がみつかろうと、死後に天国へ行けたとしても、それで結局なんだというのだろう?先の見えない存続よりも、もう終止符を打って何もかも終わりにした方がいいのだろう・・・

ディカプリオ主演の映画「タイタニック」でも、最後の場面、老女が大勢の乗客・船員そしてディカプリオなどに歓待されがら螺旋階段を昇っていくシーンがある。それで映画は終わる。
今回の「ノア」の天使が天に召される場面も、それと似ている。一生を終える時、天に昇るような気持ちのまま、それで終わりでいいのだ・・・何も付け足す必要はないし、それが現実なのだ・・・

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Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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