世の中にはいろいろな人がいるが、最も大事な二つの観点から、パターン分類されると思う。
一つは、自己反省するかどうか。
もう一つは、相手のためを考えるかどうか。

二つともプラスなら、きっと良い人格であろう。そういう人と付き合うことは、益になるかどうかはともかく、人生の中で貴重な経験を与えてくれる。
二つともマイナス、もしくは、一つマイナスの人とは、付き合ってても、不毛な時間が過ぎてしまう可能性がある。。。


いや、こういう、損得勘定でどうこうということを言いたいわけではなく、


世の中には、自己反省しない人が結構いるということを言いたかったわけで、また、相手の為よりもまず自分の為というのを当然のごとく考えていたり、相手のことなど全然考える必要はないと考えてる人がいる現実をよくよく認識する必要があると思ったわけで。こういうことは、僕には意外と大人になるまで知らなかった意外な事実なのだ・・・たぶん、純粋で素直な子供もこういうことを知らずに、知らされずに、親や周りの大人に教わることなく育っていって、実にもったいないことだと思うわけで・・・


イエスが原罪のことや隣人愛を説くのは、上記の自己反省しない人や他人の気持ちを考えられない人への戒めであって、両方できる人に対してはイエスが言っている厳しい事は全く気にしなくてもいいのかもしれない(つまり、過度に自責的に悲観的にならないでいいのかもしれない)。







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1%に騙される・・・


格差社会・・・
アメリカなど1%の人間が99%の人間の富を吸い上げているようだ・・・
富というか、名声というか、上辺の幸せだろう。
とくにマスメディアの発達が、多くの人たちを錯覚させている。
一部の(悪魔の化身?)人の成功を自分もできるんじゃないかと目指そうとする人たちが大勢いるような気がします。

この世的なすべての楽しさ・・・
プラス自己主張が大事だと言う価値観・・・
これらは、まねる必要はないと僕は思う・・・



多趣味で人生をエンジョイし、さらには生きがいを持って人生を長く生きていくこと
色んな人と楽しく付き合うこと自体が目的となっていること
など・・・


イエスがイエスを慕う人や弟子たちと議論したり食事を共にしたりしたのは、あくまでも、神を中心とする話をし、神に感謝して食事をいただいていただけで、仲間とわいわい楽しく和やかに過ごすことはイエスにとっては何の価値もなかったことだろう・・・


もちろん、困っている人のために自分を犠牲にして相手を助けることは、大切であるが、それは、その相手のためであると同時に神のためという理由もなければ意味がないと思う・・・



※また宗教臭く説教臭くなってしまいましたが、神やイエスの存在も疑う気持ちもあります。最近は、イエスは神の使いの中でも一番下っ端の使いだったんじゃないかと思えるようになってきました・・・
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アインシュタインの言葉

アインシュタインの言っていることが正しいかどうか、間違っていることも少なくないが、以下の言葉は一つのヒントになるので載せておく、といっても、私のうろ覚えなので、全く同じではない・・・

「人は自分以外の物とは独立している存在だと思っているけれど、しかし、この宇宙や地球や地球上の生物は皆同じ共同体であり、人が自分の配偶者や子どもに注ぐ愛情と同じくらいの愛情を、他の人、動物、草花、地球、宇宙に抱くのが人の本分だと思う」


ちなみに、この言葉は、愛する家族を失った人へのアインシュタインからの助言である。

私がこの言葉から想うのは、

この世界は皆同じ源から生まれてきており、敵対する必要はもちろんないし、無関心でいるべきでもなく、悲嘆にくれる孤独な人が亡くなった家族をずっと思い詰めてばかりいるよりも、野に咲く一輪の花を見て、あるいは、新緑の木々、森や山や、広々とした海、空を眺めて、これら雄大な自然がいつも家族のようにそばに居てくれている素晴らしさをもっと実感すればいいということなのだと思う。

(もちろん、蚊が寄ってきたら、手で叩き殺してしまうだろうし、野犬が襲ってきたら棒で応戦するだろうけど・・・現実の家族でも大喧嘩になることはあるだろうし、憎しみをもって敵対することはあるだろう。とにかく、喧嘩することもあるだろうけど、この世はみんな家族なのだと思えばいいのかもしれない・・・)

今回のブログで私が一番言いたいことは、自分中心だと、利己的になったり、自分の身内しか愛せないようになってしまう危険があるということだ・・・もっと、他の人、他の生き物、他の事物に愛情をもって接していくのが理想なのかもしれない・・・
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何もかもが嫌になってくる・・・

世の中に大勢いる人たちは実はただのロボット、コンピューターにすぎないかもしれない。
機械的な無味乾燥とした被造物。だから、何もかも平穏に行く。そして、機械的に合理的にうまく行っているに過ぎない。
そういう大勢を前に僕はうろたえる必要はない。
彼らを憧れる必要はないし、ほうっておけばいいのだ。惑わされてはいけない。サタンの送り込んだ使い、罠だと思っていい。
つまり、愛すべき対象ではない。
相手にするべき対象なのは、やはり僕みたいに存在の重さに日々格闘している人間だ。


コギトエルゴスムから、過去の自分自身の存在も本当に実在したかはわからない。
確かな事実は、今現在自分が存在するということだ。
過去の自分というのも、虚構かも知れない。過去のことにも振り回されるな・・・

自分の今までの生い立ち経歴経験したことすべてが幻覚かもしれないし、サタンからの罠としての偽記憶かも知れない。
もしそうならば、過去の自分は忘れてしまったほうがいい・・・
しかし、しかし、そんな感じですべてを疑っていくならば、そういう罠としての可能性の方こそ嘘で、自分を振るい落とそうとしているのかもしれない。
何が嘘で何が真か?すべてを疑っていると、混乱していく一方だ。
被害妄想のようにすべてを疑って、自分はおとしいれられていると感じていく・・・
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自殺は真珠和攻撃と同じく愚かな事だ!

72年前の12月8日に日本がアメリカの真珠和攻撃を行い、太平洋戦争が開戦されることになったわけですが、その数週間前にアメリカが日本に提示した中国やインドシナからの撤退という条件を日本が飲んでいれば、日本は惨めな敗戦をすることなく、原子爆弾の被害に遭うこともなく、そして、今だに中国や韓国などからの必要以上の責めを負うことなく、今以上の繁栄と誇りを持って繁栄していたかもしれない。

などと、妄想していても仕方ない・・・
過去は変えられない・・・

学ぶべきは、視野の狭い切迫した無謀な強行は、かならず不幸な結果をもたらすことだ。

いつも、余裕を持って、そして、失敗しても何とかなる方法を選ぶべきなのだ。

アメリカに対して日本は資源が少なく国力で劣ることを顧みるべきだったし、負けたら、悲惨なことになることをしっかり認識すべきだった。


ここから本題だ。


自殺も同じだ。やぶれかぶれの自暴自棄、切羽詰った無謀な強行は、かならず、不幸な結果になる。
死んだら、何もかも無になるだけという短絡的な考えは浅はかで無知に等しい。死んだら無になるとか、死後地獄なんてないとか、誰が保証しているのだ?
もし、自殺した後、永遠に苦しむ、今以上に苦しむとしたら、本当に悲惨なことになる。
今、この世で生きていることも切羽詰った苦しい状況だろうが、自殺せずに生き続けていても何とかなるはずだ。少しは苦しみを軽減できる方法があるはずだ。
生き続けていた方が苦しみの量が多いから、自殺した方が得だなんて、そんな日米開戦を決めた東条英機みたいな馬鹿な単純な決断はしないように!


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うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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