感覚の飛躍から意識が生まれ、主体性が起動する

主体性が必要になって、意識が生まれるのではなく、感覚の飛躍でメタ認知が発達して、意識が生まれ、主体性が生まれる・・・


毎日、たとえば朝覚醒時に、メタ認知のいろんな記憶が前日の記憶と一致する割合が多いと、アイデンティティが確立され、自分は自分であると無意識に自覚する。。。


とにかく、俯瞰的に自分の記憶や感覚を見ている自分自身が存在して、それが自分自身の言動を観察しながら、ときに、人間関係などで悩ましい判断を迫られた時に、何らかのか動きを始めるのではなかろうか?
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時間

ベルクソンの語る時間とは、意識が感じる持続的な時間の流れ

バシュラールは瞬間の時間。未来でもなく過去でもなく現在しか持たない瞬間。

ハイデガーは「存在と時間」なる大袈裟な題名の作品を出したが、結局、時間論というよりも、人間存在は時間に立ち向かっていくべきだというスローガンを提示しただけだった・・・



今は適当に入不二基義を読んでいる・・・・
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自分の中にいる親としての自分と子供としての自分・・・

二分心というわけではないけれど、自分の中には、二つの自分がいると思った方が良いのかもしれない・・・
「意識のない自分(A)」「自意識のある自分(B)」


Aは乳幼児のように意識がまだ発達していない自分
Bは大人のように、Aを見守り、育て、しつけ、愛する自分。かつAの色んな苦悩をAに代わって引き受ける自分


ふだんの自分はBの方だ。




Aを愛し、いつくしみ、いとしく思い、そして、厳しく躾け、自分を励まし、困難を耐え忍び、そして、喜ばしいことには一緒に感動する・・・



親が子供を育てる時、世の中の酸いも甘いもまだ噛み分けていない子どもに対して、良かれと思っていろいろ厳しいことを言う。英語を勉強しなさいとか、ピアノを練習しなさいとか、片付けなさいとか、人に謝りなさいとか・・・もちろん、これらのしつけは後になって、子どもの為に役立ち、そして、子どもを感謝するであろう・・・(そうじゃないかもしれないけど・・・)



自分が自分自身に厳しくなり、子どものを苦しみを引き受けて、安心して子供が成長できるようにしていく・・・そんな風に、自分自身に喝を入れたい・・・
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自分を捨てることが自分という存在の意義につながるのかもしれない・・・

自分のことを一切抜きにして、この世界をみる

と先日述べたが、

これは、単に、献身さが良いとか、自己犠牲の精神が優れているとか、そういう次元ではないような気がする。

世界の中に存在する自分というものについて考えたときに、必然的に自分をなくすことが不可欠になってくるから、のような気がする・・・
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私の肉体の意識が何故私なのか?

トノーニ教授の情報統合理論はよくわからないが、要するにネットワークを形成する神経細胞の数が意識の量に関係してくるわけだ。しかし、意識の量ってなんだ?
とにかく、ネットワークが意識を産む出すって言われても、じゃぁ、インターネットの世界的つながりが意識を産む出していると言えるだろうか?
しかし、もしも、地球上のインターネットが一つの意識を持っていたら、それを確かめる術はあるのだろうか?そんなのはできない。まるで、他人に意識があるかわからないように。
そもそも意識の定義が難しい。客観的に記述できる定義にはならないから。
客観的にいくらこういうのが意識ですよと定義してみても、実際にあるかどうかは当の本人にしか知り得ないのだから。
そして、当の本人が知るというのも一体どういうことなのだろうか?

もう一度、インターネットが意識を持っているかどうかを考えたい。
もし、意識を持っていたら、インターネットはどう感じているのだろう?
ただ、単に、人間がキーボードに打ち込んだり、センサーが作動したりして、プログラム通りに反応するだけのものだから、意識なんか必要ないであろう。まぁ、必要性の有無は脇へ置いておこう(この世界が何故存在する必要があったのか自体、謎だし、とにかく存在しているのだから)。
インターネットの意識はただ己の動きを確認するだけの存在かもしれないが、それは一体どういう感覚なのか?人間なら、感じているだけかもしれないもののとりあえず自分の自由意志で何かを行っているという主体性という錯覚なり感覚を持てているはずだ。インターネットの意識は主体性を持てるのか?プログラム通りに何かを検索する際、インターネットの意識は自分であれこれ探しているという錯覚を持ちうるのだろうか?
う~~ん、やっぱりわからなくなってきた。

そもそも人間の意識は、受動的なものなのだろうか?つまり、自分自身で考えたり動いたりしていると勘違いしているだけで、実際には脳が物質的な動きをした後にその動きを感じているだけの存在かもしれない。

しかし、いずれにしろ、何故、自分という意識が自分のこの肉体にのみ存在するのかという理不尽さは残る。自分は他の肉体のもとに宿ることはあり得なかったのだろうかと・・・

この世は何故存在するのかという問いと同じくらい謎なのが、私の肉体の意識が何故私なのかという問いだ・・・


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うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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