脳は幻想を作り出す…

山鳥重Drは良い先生だと思う・・・


言葉と脳と心 失語症とは何か (講談社現代新書) 新書 – 2011/1/18


山鳥先生(神経内科医。失語症などが専門)の『言葉と脳と心』を読んでいて、連想したことがあった。

難治性てんかんのために脳梁切断の手術を受けた患者は、脳梁離断症状が出ることがある。

左半身が行なった行為の意図や目的が本人にもよくわかってないけど、言語野のある左半球が、左半身の行なった行為の結果を見てすぐに解釈し屁理屈を言う…本人には悪気はないのである。 本人は、本当にそのように感じているのだから。実際は、右半球が左半身で知覚した条件に従って起こした行為であり、左半球にとってはそれを知る由もなく、左半球はリーズナブルな推論を一瞬で構築し、リアリティをもって、左半球の意識に信じ込ませているのだ。

これは、作話も同じような機序で起きてるのかもしれないが、それよりも、夢の中での意識が似たようなものだろうなと連想した。

夢の中で人は、覚醒時の現実社会では決してやらないような恥ずかしいことをしでかしてしまう(裸で街中を走り回ったり…)。
夢の中で(いや、目が覚めてから夢を振り返って)、何であんな恥ずかしいことをしたのだろう、でも、なんか状況的にそうせざるを得ない状況だったし、仕方ないかぁ、まぁ、夢だからなぁ、、、などと適当に納得する。

しかし、実際に夢の中で主体性をもって動く主人公は、自分は自分だけど、もう一人の自分。そして、夢の内容自体も脳が瞬時に勝手に組み立てた偽りの夢。本当の夢が別にあるかどうかは置いておいても、とにかく、夢の中での自分の言動を、実際に自分が無意識なり顕在意識なりが感じているのだと早合点したり勘違いしたりしなくていいのだ。
夢は、あくまでも、脳が勝手に組み立てただけで、全くナンセンスなのだ。
脳が、自我に見させる、あるいは、何となく感じさせるものは、あくまで、脳の都合での物だ。自我には大して関係ない物だ。

例えば、汗をかいて、顔を枕に突っ伏していれば、デカイ怪物に顔を舐められるような夢を見るかもしれない。さらに、そこからさらに脈絡なく続いていくかもしれない。もちろん、記憶の整理として、最近興味関心を持った物がたくさん出てくる可能性は高いであろうが。

しかし、自我の精神には何の意味もない。


『言葉と脳と心』P200~201より要約

PS君の左視野に刺激提示→反応

笑う→実験者のことを微笑ましく思う
こする→後頭部をかゆく感じる

PS君の左視野と右視野に別々の刺激を同時に提示→反応

左視野に雪景色、右視野に鳥の足→左手シャベル、右手鳥の顔の絵を選択し「鳥の足を見たので鳥の顔を選んだ。鳥小屋の掃除に必要だと思ったのでシャベルを選んだ」とPS君は説明


この箇所を読んで、僕は、人間が自信満々に何かを説明しても、僕はそれを鵜呑みにしてはいけないと改めて思った。
本人は整合性のなさに全く気付いておらず、脳に騙されて、信念というか思い込みというかそれにとらわれているけれど、実は真実は違うことがあるのだろうと思う。

したがって、自分自身の思い込みも常に気を付けていきたい・・・


だからこそ、「我思う故に我あり」のような本当に本当に真実だろうと思われることを追求したい・・・



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ナショナルジオグラフィックを読んでいた・・・

ナショナルジオグラフィック日本版 2015年5月号
「イルカと話せる日は来るか」

イルカは動物の中で一番体重に対する脳の比率が最大らしい。脳溝も人よりも深いらしい・・・
睡眠時は左右別々に休息するのは有名だが。本当に不思議な生き物だ。。。知能が高いのだろう・・・


イルカにしてもチンパンジーにしても知能は高く、群れの中で言葉というかコミュニケーションをとっているのだろうが、人間が唯一すごいのは、文字という道具を開発・使用したことだろう!

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言語なしで思考はできるかという問題

言語なしで思考はできるかという問題がある。
思考というものの定義が問題でもあるが、ここでは抽象的・形而上的・哲学的・高度な思考と定義しておこう。
例えば、「自分という存在は本当に存在するのか?」とか「人生の意味はあるのか?」とか「何故何もないのではなく何かがあるのか?」とか、こういう問いを考えた時に、言語なしでイメージだけで考えられるかどうか?

幼い子は4歳ぐらいからひらがなを書けるようになり始める。文字を書くというのは、かなり高度な作業だ。まず、後頭葉にイメージしたひらがなの形を側頭葉で想起する。そして、実際に書き始める前に、文字の形・配置・バランスを頭頂葉でイメージする。そして前頭葉で実際に指を繊細に動かす。
この脳全体を使って文字を書くことのダイナミックスさは、他の人間のあらゆる行動の中でも、もっとも高度な作業であることは間違いない。
会話ならば、視覚は直接には必要ない。もちろん、高度な内容の会話の場合は、頭頂葉や後頭葉もフル活動するが、基本的には感覚性言語野と運動性言語野だけで済むことが多い。
脳の活動する部位が少なければ少ないほど、反射的な単純な脳活動となって、あまり高次の脳機能の賦活化は必要ないわけで、何が言いたいかというと、文字の発明以前の古代の人たちは、ぼうっとしていたのではないかということだ。本能だけで生きて、反射的に生活していてもそれで済んでいたのだ。
文字の発明をしても、初めは大人が事務的・作業的・官僚的に文字を書き記す仕事を淡々とこなしていくだけだったが、幼い子供にも文字を教える習慣が広まると、4歳ぐらいの幼い子どもの発達途中の脳に劇的な変化が起きてくるんじゃないかと思われる。
それはつまり、抽象的な思考のことだ。


親はなくとも子は育つというけれど、子どもの成長は親にとってはいつも心配であり、何が起こるかわからないのが育児だろう・・・
そして、起こってほしくない出来事(インフルエンザにかかって脳症で死んだり、植物状態になったり)だけではなく、良き素晴らしき事も起こり得るというのが子供の良いところだ。子供には可能性がある。子供にとって明日は、ただの別の日ではなく、輝かしい未来の一日になり得るのだ。

もちろん、心配なこともあるけれど・・・

(意味不明な内容ですみません・・・)
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夢の中での時間の流れ方

夢の中ではいきなり場面が変わったり、あるいは、突然夢から覚めて起床の時間になったりする。
とにかく、夢の中では正常な時の流れはなく、そんな中では通常の思考は難しい・・・
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ターミネーター新起動のCM

映画「ターミネーター」の新作がもうすぐ公開される。その予告編のCMがTVによく流れている。
その中で、ターミネーターが運転する車が道路上で逆走している場面がある。その時、ターミネーターの目は前方から次々やってくるたくさんの車を次々認識し、アクセルとペダルを巧みに踏み分けハンドル操作して衝突しないようにうまく逆走している。その時のターミネーターの目の認識する様がモニター画面として映っているわけだが、ターミネーター自身がそんなモニターを介して外界を認識しているかどうか、ふと疑問に思った。

モニター画面はあくまでも、人間がわかるように、つまり、観客たちが理解しやすいように、映像としてうつされているだけだ、映画として・・・


これと似たようなことは、PCでもある。
ディスプレイに映るデスクトップのアイコン・・・あるファイルをごみ箱に捨てたり、人間は画面上でカーソルを操作していろいろやっているが、PC自身はそんな風に処理はしていない。ただ、マウスの移動距離方向などを計算してやっているだけだし、機械語の仕組みは本当に人間にはわかりづらいし、PC本体のCPUの中での電気の流れはもっと人間には一々理解することは難しい。


これと同じようなことは、他人に対しても言える。
自分自身は頭の中でいろんなことを感じ、考えているのが、他の人の思考を読む時も同じようにやってしまいがちだが、実際には全然違うことだろう・・・



そもそも、自分の感じること、認識すること、考えることは、自分の頭の中だけで思い浮かべられるようなもので、それが他人の考えをも映し出せるようなスクリーンにはなっているわけではないし・・・

(意味不明ですみません)
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うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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