大森荘蔵


大森荘蔵の「時間と存在」を読んだ。
中でも色即是空の実在論に期待したのだが・・・

まったく期待外れだった。
(まず、大森荘蔵の本は冗長かつ上辺だけな気がする。欧米の作家と同様いろんな言葉を駆使し自分の知っている知識を大量に散りばめれば他人からの評価が高まると思っているのであろう。Amazonのレビューで「わかりやすかった」と短いコメントを残しているけれど、そんなことはない。きっと桜であろう。桜でなくても何かレビューのコメントを残したいだけの野次馬だろう。と愚痴ばかり言ってしまったが、、、本題に移ろう)


大森や仏教系の日本の哲学者は、自分なんて存在しないと主張することで欧米に対抗しようとしている。

自分なんて単なる思い込み、ただの「エゴ」「我」に過ぎない、と主張したいんだろう。

コギトエルゴスムを知っている欧米哲学者は自分なんて存在しないという主張に半信半疑で興味を持つ。

仏教の「空」という概念に興味を持つ。「空」は「無」でもなくもちろん「有」でもない。こんな変な概念を悟ることが仏教の教えなのであろうが、もちろん、賢明な人はそんな詐欺にひっかかる必要はない。まるでねずみ講のように理論的にも現実的にもあり得ないのだから。


でも、、、もしかしたら、「空」というものがあり得るのかもしれないという夢はいつも心の片隅に置いておきたい。。。



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問う時、疑う時

僕は、断定する人が嫌いだ。


神はいないとか、

人生の中で善とは幸せとか、

意識は脳の随伴現象に過ぎないとか、、、




何でそんなに自信をもって断定するのだろうか?

1+1=2 ということくらいになら断定してもまだ許せるが、この数式すら僕は疑っている。そう、コギトエルゴスムのように。独我論者のように。


しかし、そんな僕自身、
日々、自分という意識とか、人生の意味とか、幸せとは何かとか、考えている、この自分の態度にも、おかしいところがあるように思えてきた。



何故、人生の意味を問うのか?

問うことくらいは僕の勝手かもしれないが・・・



断定する文章には、疑問を呈することは構わないのだが、
問うときの前提の自分の思い込みは勘違いではないだろうか?


全てを疑う懐疑論者の疑う、問うときの前提、これはもしかしたら、、、
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「今」



「今」は、動物にとっては、どう認識されているだろうか?
いや、動物の生活に、「今」なんて概念は全く出てこない、不要なものだろう。
「今」なんて言葉は、人間の他の人に、しばらく先の話でもなく以前の話でもなく、まさに今、ということを伝えるために生み出されたコミュニケーション上必要な概念だったから、人間にしか「今」という観念は存在しないだろう。。。




とにかく、「今」というのが、どんな概念なのか、絶対的な基準があるのか、追求していかなければいけない…


ところで、今の反対は何か?過去や未来ではなく、永遠だろう。
ゼロの反対が無限大であるように。


認知症の人は見当識障害を起こすことがある。
つまり、今がいつなのか?わからなくなるのだ。(他にも、ここがどこなのか?目の前にいる家族が誰なのか?もわからなくなったり・・・)


何故、今がいつなのか?わからなくなるのか?


これと似たような状態は、子どもが夢遊病で歩いているとき、今が夜中だということをわからずにいたりする。



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Here & Now ヒアアンドナウ 今ここで


よく「Here & Now」「今ここで」という言葉が使われる。
しかし、「今」と「ここ」は等価じゃない。

「今」は「ここ」よりもレベルの高い概念だ!

なぜか?


今と言った時、いつの時点かわからないことが多い、主語が今存在する人を対象にしているから。
しかし、ここと言った時、それは、今その人が住んでいる大阪府大阪市何とか何番地かもしれないけど、それはもっと正確にいうと、銀河系の太陽系の地球の日本のという風に詳述できる。さらにいえば、この世、この世界、という風に限定できる!

だけど、時については、悠久の歴史の中の無限ともいえる時間の中で、べつな時間軸を想定することは不可能に近いと思われる・・・


そうなると、逆に考えて、絶対者にとっては時間はすでにもう未来も過去もなく決定できるようなんじゃないかと考えられる・・・


今日も意味不明な内容ですみません


とにかく、「今とはいつなのか?」と考えることは、すごく重要だと思う今日この頃です・・・
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今はいつか?

晩年のアインシュタインも「今」について混乱していたような気がする・・・プリンストン研究所同僚の哲学者・物理学者・数学者のルドルフ・カルナップと時間について議論してたらしい。


「今はいつか?」

「今でしょ!」

と答える人がほとんどだろう。そりゃそうだ。しかし、その答えは普遍的なものではない。問いが普遍的な問いではないから仕方ないだろうが。

なら、今という概念を定義すると、どうなるだろう?
辞書を検索すると、「過去と未来との境になる時」「現在」「ただいま」とトートロジー(同語反復)になってしまう。まぁ、それはよしとしても、主語がない。誰にとっての現在なのか?


世界全体の真理から見れば、「今」というのはいつの時点なのだろうか?
神からすれば、「今」というのは2015年9月14日午前6時26分なのだろうか?

違うような気がする。

自分、存在、今というキーワードで考えると、本当に、今が何なのかを良く考えないと先に進まない・・・






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うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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