自分という意識について考えること

意識と脳の謎について、時々意識が自分を意識する活動が、脳の活性化に必要な、月一の掃除のように必要な活動なのだろうか?
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今と永遠


今イコール存在すること
永遠イコール無



存在するとはどういうことか?
これはやっぱり「今があるということ」なのではないかと思う



存在は有限であるし、過去や未来を通して生きてはいても、存在を自覚し感じれるのは今という瞬間だけ。


対照的に、無とは永遠であり、無限だ。もちろん、存在してないのだから、自覚などできない。


有限から無限に行ってみたい・・・







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時間と自我意識

(A)私は今ここに存在する

(B)世界は今ここに存在する

(A)について
(A1)Person「私」とは感じる主体
(A2)Time「今」とは流れを感じる時間の経過の中
(A3)Loation「存在する」とは私の内側の一点に感じる

(B)について
(B1)P「世界」とは私に感じさせる存在
(B2)T「今」とは時間の中での瞬間瞬間
(B3)L「存在する」とは私の外側の無限の広がりの中に感じる

(A1)と(B1)は対照的
(A3)と(B3)も対照的
そうすると(A2)と(B2)も対照的になるのではないかという予想がたつ


外界の存在は瞬間瞬間の連続に過ぎないような気がするのに対して、私が自分自身を感じる時間とは実は永遠なのではないだろうか?いや、永遠という言葉ではなく、別な概念で考えなければいけないかもしれない。しかし、とにかく、外界の物が自分に刺激を与えるのは、一瞬一瞬の連続であるのに対し、自分自身の存在を自覚するのは時の寸断がないような気がする。要するに、内省・自己洞察、いや、自分自身の精神を感じるときの時間は、外界を知覚するときの時間と次元が違うような気がする。


もちろん、脳の中では感覚野を通すか否かという経路の違いによる時間差、あるいは、自ら自分の存在について考えだすような内在的自然発生的なループ回路か、あるいは、刺激受容体感覚という一方通行的回路かという違い、などが多少あろうけど、そんな問題ではないような気がする。




(ハッキリ言って全然間違っている内容・・・しかも、まだ途中・・・)





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時間と意識

時系列

人間の意識
生まれてから死の時間の流れ
その断面

それらの集合がその人の全体像・・・

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解離するには・・・


解離性障害は人口の1~5%に見られるという報告もある(が、実際にはそれほど多くはないと思われる・・・)。というよりも、病気としてではなく、正常な適応行動として経験している人が多いのかもしれない。。。
例えば火事場の馬鹿力。火事に遭った時に家の中にいる家族を救出しようと暑さや痛みや筋肉疲労などの感覚閾値はぐんと高まり(必死な思い・興奮が感覚神経系のニューロンに抑制的に働き)、無我夢中で救出活動をし、後日振り返っても思い出せなかったりする・・・(そういう意味では、興奮が、記銘に関与する海馬のニューロンに抑制的に働いているのかもしれない・・・)しかし、いづれにしろ、人格が変わったかのように、いつもの自分ではない別の自分によって興奮・必死になって行動している・・・


どうすれば解離できるのか?

別の主体性を持った人格部分を心に宿らせられるのか?


イマジナリー・コンパニオンを持てばいい・・・ある人は、それがイエスだったり、聖霊だったり、亡くなった家族だったりする。父のような存在や神というものを自分の心の中に常に感じながら行動すればいいのかもしれない・・・

ただし、それだけでは不十分だ。

その、自分の中に感じる別の存在を自分自身であると自覚しなければいけない・・・
というと、
どういうことかというと、
その別人格に自分の行動を委ねる。自分自身はいったん何も悩まず何も考えずただボーッとし、その間、自分の身体の行動を別人格に任せるのだ。

う~ん、実現可能性は・・・


まぁ、もし実現できたら、記憶は何とかつなぎ合わせられるようにしながら、多人格の言動の調和を図るとか・・・
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うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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