他人の良いところはただ単純に良いと思えばいい

キリスト教のプロテスタントでは、セカンドチャンスという概念がある。

洗礼を受けていない人でも死後に救われるという考え。とくに、洗礼を受ける機会もなかった幼な子が亡くなった時には、何の罪もないまま亡くなったわけだからセカンドチャンスで当然救われるわけだ。それも、7歳までなら大丈夫と言う。


子供はいつから罪深くなっていくのだろう?

僕もちょうど8歳になってから親の都合で引っ越して、7歳までの生活と8歳以降生活とが区別されて記憶に残っているのだが、やはり我が強くなってきたのは8歳以降だと思う。

7歳まではすごく純真だったと思う。

友達のうちに遊びに行ってその友達のお母さんが優しいと、羨ましく思うよりもただ単に良いなあと感じてた。

しかし、8歳以降は自分の親や置かれた環境に不平や不満や疑問や憤りを持ち始める。他人を羨んだりするわけだ。

妬み、羨みは、罪であると聖書にも書いてある通り、他人の良いところはただ単純に良いと思えばいいだけなのだ。


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『自分で自分を裁くことすらしません』

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『自分で自分を裁くことすらしません』

という言葉・・・



PODCASTで聴く礼拝メッセージで、プロテスタントの牧師さんが「自分の罪を悔い改めましょう」よく言っている。

しかし、僕は、それをいつも違和感をもって聴いている。なぜなら、自分の罪というのは、いったい何なのか、わからないからだ。そりゃあ、自分に悪いところや落ち度や失敗はいくらでもあるけれど、それらがすべて、何とか頑張ってやっている結果であって、間違った方向に努力して、見当違いの間抜けな努力なんだろうけど、でも、どうすることもできないというか、自分の能力は正悪を判断できず、何が良いか何がいけないか、知性が劣っているからであり、これ以上どうすればいいの?といった問いを神に発しても、神は無言沈黙であり、本当にどうしようもない。。。

もちろん、明らかに自分が悪いことをした時は悔い改めたい。しかし、人生や日々の生活において、何が悪くて何が良かったのなんて、わからないことが多過ぎる・・・

だから「先走って何も裁いてはいけません」と言われると、納得がいく・・・

他人のことも、自分のことも裁いてはならない・・・・

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他人事



相変わらず、時間と自我意識の謎についての考えはまだまとまってません。そもそも、そんな簡単に考えがまとまるような内容ではないので・・・

今日もまた、別な話題を。。。



このブログのカテゴリは一応、キリスト教になっている。

なので、久しぶりにキリスト教に関係する内容を書いてみる。

今日はもちろん日曜礼拝に行った。
カトリックの教会だ。
司祭の説教の中で、難民の話が出た。
今、シリアからの難民が増加していて、また、欧州での難民受け入れについての問題もニュースになっている・・・
何十万人もの難民を受け入れるかどうするかヨーロッパ難民危機という状態だ・・・

このニュースを聞く日本人は、難民問題を他人事だと思っているのではないだろうか?他人事というか、欧米の難民受け入れを何とか支援したいと思う人もいるだろうけど、何より、我が国日本の難民受け入れが実は、毎年千人の希望者がいるのに毎年10人程度しか難民認定されていない現実を知らない人がほとんどなのではないだろうか・・・(私も知らなかった・・・前、通ってた教会の牧師さんは、日本の親戚を頼ってアフリカから日本に来たアフリカ人が日本国への永住を希望しているのに却下されていることへの支援活動を行っていたのを聴いたことがあるのだが、その時ですら、私は稀なケースなんだろうなとあまり気にしてなかった・・・)



前置きはこれくらいにして、ここから本題に入る。



手術の副作用というか合併症というか手術したのに亡くなってしまうリスクは1%だろうが何%だろうが必ずあるものだ。ほとんどの人は無事手術が成功して病気が治って健康な生活を送れることを期待している。実際、その通りになる人がほとんどだろうが、1%の不運なケースになってしまった当事者はいたたまれない・・・その人にとっては、1%ではなく100%になってしまったのだから・・・



自分という意識を考える時、他の大勢の普通の平凡な人と違って、自分だけ自分の意識を持って、悩みながら生きている・・・

誰にでも起こり得ることだけど、ホントにわずかな可能性の中に見事に入ってしまった・・・
まぁ、そんなことはどうでもいい。



他人にも意識があるのかどうか?

漫画「銃夢」に出てくるザレム人みたいに、頭の中に脳はなくただ小っちゃいICチップが入っているだけの人間。ICなどというコンピューター、機械、物質の働きだけで、自我意識があるのだとしたら、自我意識の存在を他人が客観的に確かめる統べはないであろう。。。



日本国内で毎年10人程度の難民認定された人、および残りの1000名弱の人々、こういう人の苦しみ悩みは、自分に知る由はないのかもしれない。しかし、想像することで、知ることはできる・・・
(意味不明な文章ですみません)



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愛する対象

自分で自分のことを愛おしく想うことは可能か?


自己愛性人格障害の方なら、自分のことが好きで好きでたまらないであろう。とくに芸能人の中には、三度の飯より自分が好きだというような人は多いであろう。

しかし、本当の意味で、自分を愛することはできるものだろうか?

(まず「愛する」や「いとおしく想うこと」の定義が難しいが・・・)

自分の何が愛おしいのか?

自分の能力か?性格か?外見か?


自分のことを愛さなくてはいけないとは思うけれど、イエスは「自分を愛するように他人を愛しなさい」と言っている言葉の中で、自分を愛することは大事だといいたかったのではないと思う。自分を愛するのはもちろんだが、その愛する想いを他人に当然抱かなければいけないのだと言いたかったんだと思う。

何がいいたいか?

他人を愛する、愛おしく想うことができれば、その中に自分を愛するやり方も見えてくるように思うのだ・・・
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神の計画?

↓のサイトでジョン・カーソン牧師の説教メッセージをyoutubeで見ることができる。

http://zaakai.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/tot-8a61.html

しかし、私はこの牧師の話に共感できない・・・

エレミヤ書第29章第11節の以下の言葉
『1主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。』

が彼の頭に自然に浮かび、そして、周りからもタイミングよく同じ言葉を話されたのをもって、ジョン牧師は試練は必ず後で素晴らしい結果をもたらしてくれると言う。神には、人間の浅はかな知恵では推し量れない素晴らしい計画・考えがあるのだと。


旧約聖書
エレミヤ書
第29章
29:1これは預言者エレミヤがエルサレムから、かの捕え移された長老たち、およびネブカデネザルによってエルサレムからバビロンに捕え移された祭司と預言者ならびにすべての民に送った手紙に書きしるした言葉である。 29:2それはエコニヤ王と太后と宦官およびユダとエルサレムのつかさたち、および工匠と鍛冶とがエルサレムを去ってのちに書かれたものであって、 29:3エレミヤはその手紙をシャパンの子エラサおよびヒルキヤの子ゲマリヤの手によって送った。この人々はユダの王ゼデキヤがバビロンに行かせ、バビロンの王ネブカデネザルのもとにつかわしたものであった。その手紙には次のように書いてあった。 29:4「万軍の主、イスラエルの神は、すべて捕え移された者、すなわち、わたしがエルサレムから、バビロンに捕え移させた者に、こう言う、 29:5あなたがたは家を建てて、それに住み、畑を作ってその産物を食べよ。 29:6妻をめとって、むすこ娘を産み、また、そのむすこに嫁をめとり、娘をとつがせて、むすこ娘を産むようにせよ。その所であなたがたの数を増し、減ってはならない。 29:7わたしがあなたがたを捕え移させたところの町の平安を求め、そのために主に祈るがよい。その町が平安であれば、あなたがたも平安を得るからである。 29:8万軍の主、イスラエルの神はこう言われる、あなたがたのうちにいる預言者と占い師に惑わされてはならない。また彼らの見る夢に聞き従ってはならない。 29:9それは、彼らがわたしの名によってあなたがたに偽りを預言しているからである。わたしが彼らをつかわしたのではないと主は言われる。 29:10主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。 29:11主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。 29:12その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。 29:13あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、 29:14わたしはあなたがたに会うと主は言われる。わたしはあなたがたの繁栄を回復し、あなたがたを万国から、すべてわたしがあなたがたを追いやった所から集め、かつ、わたしがあなたがたを捕われ離れさせたそのもとの所に、あなたがたを導き帰ろうと主は言われる。


前後の文脈から、神の計画とは、ユダヤの民族を約束の地に戻すから、民は神を熱心に祈り、神の約束を守り、神に忠実であれと、脅しているだけのように読める。。。

個人個人の幸せよりも、民族という大きな次元で考えているようだ・・・


ちなみに、

youtubeで陽気に話すジョン牧師、彼は前妻と娘さんを交通事故(自分の運転ミスと娘さんの自損事故)で亡くしてしまったようだが、自分の運転ミスで妻を亡くしてしまい、かつ、その後に娘さんに車の運転を本当に気を付けるように注意喚起してなかったことの自責の念があまりなさそうで、きっと、躁的な人間なんだなと感じて、あまり信用できなかった・・・



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Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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