君の名は。


アニメ映画の『君の名は。』を見た。
新海誠監督作品は好きなのだが、今回のは少し映像レベルが一部落ちてしまったような感じがする・・・まぁ、それは置いておいて、、、

ストーリーが非常に良かった。もちろん、映像もやはり素晴らしい!

この作品から「人生の意味」のヒントを得た。

追い求めているもの・・・何を探しているかも忘れてしまっているけれども、それでも、いつも、毎日、常に、何かを求めている・・・何年も、何年も・・・

現実はやらなければいけないことはいくらでもあり、あわただしいけれど、それでも、いつも心のどっかに、奥底に、焦りを感じながら、何か欠けているのを感じながら、いったい何を探しているのか自問自答しながら、生きる。


人は「人生の意味」の答えを実は昔は知っていて、この世においてはそれを忘れてしまっていて、思い出そうと必死に見つけようとしているのかもしれない・・・

スポンサーサイト
line

幸不幸は問題ではない!

ヴィトゲンシュタインは、哲学的にというか、倫理学的にというか、この世での善悪は、善は幸せに生きることと断定してしまっている。。。

僕はこれに反対する。


幸福に生きていれば何も問うことはないであろう。

幸福な人生は文句のつけようがないというよりも、文句をいう意志を消されてしまうだけだ。


幸福でなくても、人生の目的を知っている人は、幸福でなくても我慢でき、かつ、幸福ではないけれど、やれるだけのことはやっているという充実感を得られる、いや、充実感ではないであろう、正確に言えば、人生に対するおのが責任をまっとうしている自覚だ。


不幸であっても、自分のやるべきことをやっていて悔いはない。


幸福であろうと、茫洋としていようと、理性や知性や悟性を失おうと、そんなものは、自分のやるべきことを一生懸命やっている人の人生の前では無価値に等しい
line

感動とは

昨日までの連休中とは違った今朝の目覚め。今日からまた仕事の日々が始まるからだ。緊張する。朝の目覚ましがなくても自然と身体が勝手に起きる。ACTHやコルチゾールが増加しているのだろう。
連休中は人恋しく、寂しさがひとしお大きい。しかし、そんな気分とは対照的に仕事が始まれば人に対する警戒心が強くなる。
小学生の頃はそんな人への警戒心などなかった。何故なら、守るべきものがないからだ。
大人になり社会人になれば、守るべき自分の立場、上っ面、プライドがあるものだ。人には見せれない自分の弱さを嗅ぎつけられないように、見破られないよう・・・

現代日本では小学生のうつ病が増えているという。真のうつ病かどうか、ただの発達障害の抑鬱症状に過ぎないかもしれないが、昔に比べて今の小学生は守るべきものが小さい頃からすでにあるのかもしれない。SNSなどが発達した今の時代では、小学生たちも、自分がいじめの対象にならないように、自分を強く見せようと、協調性があるんだと、仲間意識で帰属意識があるんだと、周りにアピールしておかないといけないのかもしれない・・・


前置きはこれくらいにして、

人生における苦しみは何といっても人間関係だ。飢えや病気や怪我や老化ではない。生まれて物心ついたときから無人島で暮らしている人がもしいたら、そんな人は人間関係などわからず、孤独もわからず、大した苦しみを感じず、野生動物のように本能に任せて自然に楽に生きていることだろう。

神が与えた人生のスパイス、苦しみというのは、人間関係だ。

人間関係によって、人は苦しみ、悲しみ、傷つき、そして、感動も与えられる。


だから、苦しんでそして感動する幸せとは、人間関係というのが一番重要な要素であろう・・・


多くの精神の病いが人間不信を基盤にしているように、人間関係で傷つくのはあいてを信じられないことにある。

そんな人間不信の人が唯一信じられる可能性のあるのは、神であろう。神は裏切ることがないと信じているのだ。


しかし、天国が不運不幸が起こらないと無難な平和を保障しているようなものではないと仮定したように、神ですら裏切ることがないとは言えないと仮定することもできる。機嫌次第で怒ったり虐待する親のように、神も人を気まぐれで罰したり災難を与えたりするのかもしれない。
天国でも、人は、神のご機嫌にビクビクしながら過ごしているかもしれない。まるで、禁断の果実を食べた後のアダムが神におびえたように。

禁断の果実は疑うという能力の素だったのかもしれない。


苦難を通して得られる感動というのは、信じられない状況で、真っ暗闇の状況で、信じられる光を見ることか・・・
いや、こんな文学的な抽象的なものではなく、

愛かもしれない。苦難の中にこそ、愛しい気持ちを持てることに幸せがあるのか。。。。
line

苦しみがあるからこそ、感動がある・・・



宗教も文学もアダージョも、悲劇をもとに感動をもたらそうとしている。。。

苦しみを介して初めて感動が生まれると言いたげに・・・


天国というのがあって、何一つ不自由なく、永遠に平穏で、温かく、無風で、とにかく、平和・・・それが至福なのだろうか?


永遠に約束された平和というのが僥倖だとしたら、それは、単に不幸や不運や悲劇が突然襲ってきたりはしないという保証があると言うだけのことであり、それは本当に幸せと言えるのかどうか???


神が設定しているこの生の喜びというのは、そんな平穏さ平和さ
無難さというものではないはずだ!


苦しみがあるからこそ、何とも言えない感慨深さが生まれるのだろう。


まるで日本の一期一会、無常に通じるものだけど・・・


頼みもしないのにこの世に生まれた自分・・・別に感動などいらないから、初めから自分なんか生み出さないで欲しかった、と思う前に、苦しみを通して感動を得ることの真の意味を考えたい・・・



line

何をすべきかわからない・・・・

夏休みの宿題がまだ終わってない8月31日の様な気分だ・・・
焦りはつのるけど、具体的に行動に移そうとする気力が出ない。
新しく何かをするには勇気が要る。失敗を恐れる・・・
しかし、すでに今、もう失敗した状態であり、ぐずぐず恐れてないで行動にうつさなければいけない・・・

楽観的になって逃避的になっていたら、ダメだろう・・・
実際に行動を起こしてから楽観的になるのはいいことだろうけど。

明日はどんな日かわからないけど・・・

「明日はどんな日か私は知らない」
https://www.youtube.com/watch?v=XATb9QHj1og



にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他ブログへ
にほんブログ村<br"にほんブログ村 哲学・思想ブログへ" />
にほんブログ村
line
line

FC2Ad

line
プロフィール

うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

line
最新記事
line
最新コメント
line
最新トラックバック
line
月別アーカイブ
line
カテゴリ
line
検索フォーム
line
RSSリンクの表示
line
リンク
line
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

line
QRコード
QR
line
sub_line