依存

愛(永遠の命)がなければ、たとえこの世のトップに立とうとも何の意味もない。
悪魔(仏陀)は人生は苦だと喧伝するが、愛があれば、そんなことはない。
しかし、愛があればこの世の苦しみも見えなくなり喜びや感謝で過ごせる一方で、愛が尽きればこの世の苦しみが前面に押し出されてくる。イエスは尽きることのない命の泉(愛)を与えようと言っていたが、結局、愛に依存していることにはならないだろうか?
そもそも依存とは全てに当てはまる。酒やギャンブル、ニコチンやカフェインだけでなく、スィーツやファッションや人との交流…全てが依存という現象だ。食べ物がなければ生きていけない、これだって依存だ…
愛も結局は依存なのかもしれない。
依存の定義はよくわからないが、依存をやめたいという自分の意志に反してやめられないのが依存の条件ならば、食べ物に頼りたくないという意志とは裏腹に身体がどうしても必要としてしまい空腹感という禁断症状があるのだから、依存を示しているのかもしれない。


依存症とは、その依存対象がなくなると禁断症状が出てきて、這ってでもそれを求めにいこうとする現象。例えば、アルコール依存の人が金がなくてもスーパーに行って万引きしてしまうように。アルコールがないと、禁断症状や離脱症状が出てきてしまうのだから、心理的な問題だけではなく、身体的にも身体が欲しているのだ。食物も万引きするかもしれないけど、なくなれば、渇望し、探索行動を始める。
愛はどうだろう?なくなれば、どうだろう?渇望し、探索する場合もあるし、諦める場合もあるし、初めから渇望もしないし、こんなものさとあっさり引き下がり、別の行動にいそしむ場合もあるだろう。

スマホ依存は、とりあえず手元にあるとゲームやSNSが気になって熱中してしまうが、子を持つ母親の愛情も、子離れできずに子どもに依存しているとも言えるのではないだろうか?
愛とは何なのだろう…

キリスト教で、常に神への愛





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意識イコール自発性



意識が芽生えるのは、4〜6歳頃だと思われるが、 人間社会の中での自分のポジションを自覚し始める頃だと思われる。
自分だけ他の人と違うという点がいくつもいくつも認識される度に意識の発達が促されているように思われる。
何よりもまず自分の感じてるものが、同じ運命共同体の一員であり同じ価値観だと思われていた他者と、実は実際には共有できてないことが少なくないことを自覚することが意識の発達促進因子として重要であるように思われる。ハチやアリのように同じ目標に向かって皆が一致した行動をしていればそれでよいような集団の中では意識というのは芽生えないと思われる。また、犬や猿の社会でも、弱い個体はただボスに従えばいいというような集団においても集団内格差は群れの中で自然に暗黙の了解として共有され、意識というのは芽生えない。
しかし、人間社会のように、自立が求められ、格差や競争が多く、家族や地域や国という社会という枠組みの中だけでは収まりきらず、むしろ、個を主張することが必要になってくる社会においては、意識が必要になってくるのではないだろうか?ただ誰かに頼ったり、ボスに従ってたりするだけでよかったら、意識など必要ないだろうが、リーダーがよく入れ替わってしまったり、誰に従うかで殺されそうになったり生き延びれたりすれば、自分で判断して道を選んでいく主体性が必要になってくるのは当然であろう。
(親や教師から『自分で考えろ』と突き放されたとき意識が発達するし、言語野のように人間の脳の前頭葉などにはその意識を発達させる余地がちゃんと準備されている。)

主体性が必要だと意識が芽生えるのか?
自発性や能動性が大切なのか?
人間は自由意志があるということなのだろうか?
意識というのはこうやって社会的動物の進化に伴って誕生した脳の機能の一つに過ぎないのか?
コミュニケーションをとるために言語野が発達したように、主体性や自発性が必要で前頭葉が発達し意識が芽生えたのか?
神経系をもたない生物から反射や本能を発達させた脊椎動物に進化したように、自発性を備えた脳を持つ人類に進化したのか?
自発性を持つということは、自分自身を認識、理解、自覚するということなのだろう…
だが、自分自身を自覚することは、一層だけ許されたメタ認知として、、、
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自閉

あるサイトで地球外知的生命体と夢の中でコンタクトした人の話がかかれてあった。その内容の真偽は、どうでもいいのだが、その内容の一部が考えるヒントになった。

その内容の一部とは、

現実世界のこの世以外に、死後の世界のあの世というのはあり、この世に生まれ出づる目的は、魂を磨くため。あの世では、魂を磨くことはできないから。あの世では、自分の願うことは何でも叶うため、あの世において魂を磨くことはできない。
そもそも魂がなぜ存在するのかはあの世においても何億年も議論されていて、いまだわかってないらしい。
神と言うものは存在するが、あの世においてハイレベルな魂の者でも、神とコンタクトすることは難しいという。


ということだ。これらのことから僕はいろいろ考えさせられた。

僕も昔は、自分の願うことがなんでも叶うような空想をよくしたものだ。そんな空想をいくら膨らませても、結局、自分という世界に引籠っていて、自閉的になってしまっている。空想の中でたくさんの人が出てくる。自分を称賛してくれる人は多いし、現実の世界で自分にひどい仕打ちをした人を空想の世界では見返すこともできる。しかし、いずれにしろ、それは自分の想像する範囲で他者を作り上げているに過ぎない。
結局、空想は、自分の殻に閉じこもっている世界なのだ。
上記の話のようなあの世の世界では、自分の望み通りに全てが叶う世界にいたら、人は他者にどれほど親身になれるだろう?自分に異を唱える人のことは無視したり、無関心になったりするのではないだろうか?あの世においても、魂がなぜ存在するかについて議論がされていても、自分の考えにとらわれ、他者の意見をないがしろにするのではないだろうか。
自分の殻に閉じこもって、そこからわざわざ抜け出そうとする気も起きず、せいぜい、自分より弱く幼い存在に恩着せがましくコンタクトするだけで、自分より上の立場の者にはあまり関わらず、神ともコンタクトする自信を持てないし、わざわざそんな自尊心を傷つけそうなことはしないだろう。

「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」と聖書(ルカ18章14節)にある通りだ。

とにかく、何でも自分の思い通りになると人は孤立する。そして、孤立の中で他者から好かれる自分を空想するだけだ・・・(好かれる≠愛)










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記憶と時間

夢を見ているとき、記憶は覚醒時ほどには十分うまく働いていない。そんな夢の中での時間の流れは複雑だ。夢の中での自分はどれくらい時間が経っているのかきちんと把握できていない。長く感じるときもあるし、短く感じるときもある・・・
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レインマン

最近は漫画の「レインマン」を読んでいて、とりあえず、最新刊の第5巻までは読み終わった。
(注意:アメリカ映画の「レインマン」とは全然関係ない)

レインマン(1) (ビッグコミックススペシャル)

脳がない主人公の持つ超能力(パラレルワールドの他の自分とつながりあう)
生命、動物、人間の進化など
面白く展開している
二分心の話も織り込んでいる
作者はかなり勉強していると思われる(ただし、理系ではないようなので、どうしても、論理的・合理的ではなく、ただの文系の作品になってしまっているのが惜しい・・・)

今後も期待したい・・・




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Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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