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マインドフルネス


本を読んだり、説教を聞いたり、これらもすごく重要で、役には立つけど、やはり一人で沈思黙考するのが最終的に一番大切であろう。

今、あるマインドフルネスのように、他の雑念に邪魔されないで、ただ「自分は存在する」という事実を感じ、そして、その真理が一体どこからくるのか?を考えないと・・・



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現実的な意識と、抽象的な意志

今日はめずらしく家で一日過ごした。それで、ずっと思索に励んでいたが、それでも、いろいろ雑用があり、途中、音楽を聴いてしまったり、インターネットを見てしまったりで、気持ちが集中できていなかった・・・当然、何か現実的なことに心が向かっていると、人生の意味についてのヒントは頭に浮かんでこない。
本当に答えを見つけたいならば、必死に思索に集中しなければならないだろう・・・

思索を邪魔するのが現実的な事柄だ・・・

これは夢にも似ている。

夢の中では正常な思考ができずにいる。邪魔するのは夢の中の雑多な体験だ。

半覚醒のときに目覚まし時計を消そうとしても腕が動かないのももしかしたら夢の作用なのかもしれない。

覚醒時に腕を動かそうと念じただけでは実際には動かないのも、何か他の雑念のせいかもしれない。
いや、むしろ逆に、現実的な意識を抽象的な意識が邪魔しているのかもしれない。

いずれにしろ、現実的な意識と、抽象的な意志は、相対立して存在し、どっちかが働いていると、どっちかが影に回るようになっているのかもしれない。まるで、多重人格の交代人格のように。

そして、もちろん、大事なのは抽象的な意志の方だ。現実的な意識ももちろん大事だが、これはあくまでも原始的なものであろう。これを上回って、その人の人間性・悟性を司るのが抽象的な意志の方であろう・・・・


たとえば、この原稿を考えてキーボードをたたいている自分は抽象的な意志の方であり、時々空腹を感じて間食しようと動こうとするのが現実的な意識の方だ。




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ただ礼拝に参加するだけではだめで・・・


いつも行っている近くの教会では説教がつまらない・・・神奈川県大和の大和カルバリーチャペルでは牧師の説教がとても感動する。それは説教の内容を練りに練って心がこもった内容だからだろう・・・音楽も讃美歌を歌うだけの礼拝なら本当の意味で気持ちがこもらない・・・しかし大和の礼拝はワーシップという現代風の気持ちの込められる歌だから、聴いていて感動する・・・(僕はあまり歌わないけど)

イエスが山上の説教で4000人とも5000人ともいわれる群衆の中で説教したとき、どんな説教をしたのだろうか?

讃美歌は歌っていなかったと思う。聖書に歌の字は出てこないから。

選挙前に与党を批判ばかりする野党の街頭演説みたいに、イエスも当時のローマ王国の政治について批判の内容だったのだろうか?いや、そんなことは聖書には書かれていない。

とにかく、礼拝に出ていても、それが考えさせられる内容でなければ、ただ懐疑に参加しているだけのようなものになってしまう・・・


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運命などない!

過去の自分の選択を間違っていたのではないか?と後悔しそうになることは誰しも多かれ少なかれあるだろう。

しかし、過去のあの時のあの選択がなかったら、そのこととは直接関係はしない別なことでの今の幸福もなかったとも思し、やはり、あの時の選択は良かったんだと思い直し、さらには、これは運命だったんだと論理を展開・飛躍させていくかもしれない。




しかし、これは、やはり、間違ってる、かもしれない…




あの時の選択は直接良い結果をもたらしていなかったら、それはミスチョイスだったと潔く認めなければいけないし、そのこととは直接関係はしない別なことで今現在益となっているものは、あの頃の選択をミスチョイスしなくても、ちゃんと得られていた可能性は高いはずだ。もしくは、全く同じ形というわけにはいかなくても、同等の、あるいは同等以上の益を得られていた可能性が高いはずなのだ。

そう、同等以上の似たような形で…

人や状況を変えて…形を変えて…







人生とは、運命もなく、人との出会いも一期一会、今生の別れとなるか、初めから逢うこともなかったかもしれないランデブー…



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怒りというエネルギー

怒りとは、思うようにならない事柄に対する反抗の感情であり、3、4歳の子どもが親に駄々をこねるような反抗心であり、怒りとは、何かで爆発させると即効性に解消するし、逆に、内省しながらゆっくり受容すれば成熟するし。


旧約聖書の時の神は前者のような、怒っては爆発し、爆発させて未熟のままで、逆に、新約聖書の時の神はは後者のような、不条理に対する諦め・受け入れ・慰めで成長を目指している…

さらにもっと良い方法はないのだろうか?
怒りや諦めを超えた…
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うーたんとみゅう

Author:うーたんとみゅう
人生の意味を探り自分の生まれてきた理由・使命をただ純粋に知りたいだけ・・・

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